水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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正義の基準

そもそも裁判というのは、何が正しいのか、ということを争う場ですよね。
前々から、日本の司法は、必ずしも正義が前提ではない、と思っていました。
例の、佐川元管財局長の森友学園に関しての公文書改竄が、無罪放免となったことを、
まあ妥当な判断だ、と思った国民は少ないと思います。
司法すら忖度するんだ、という思いが強かったでしょ。
何も、この特定の事案に限らず、この類の忖度判決、または忖度不起訴は山ほどあります。


これは極めて単純な構造からくるものです。

特に検察は、単純明快に被告を有罪にできそうもないと、
不起訴を選択します。
一説では日本の有罪率は99.9%だそうです。
つまり、これは無罪になるかもしれない案件は起訴しないということです。
簡単に言えば、大学生レベルの相撲部の選手が、
小学生としか相撲を取らない、ということのようなものです。
どう見ても勝てる相手しか土俵に上げない。
まあ、ある意味大人げない対応でしょ。

 

以前、さる弁護士の方との話で聞いたことです。
司法試験に合格し、資格を得ると、その先は三つに分かれます。
一つは、弁護士、一つは検察官、そしてもう一つは裁判官です。
そういう選択を司法試験を受ける時からほぼ想定しているそうです。
で、その選択というのは、その人の考え方、主義主張ですから、
性格分類をすると、何か共通点というのがあるでしょ、と聞きましたら、
間違いなく、裁判官希望者は、四角四面と感じるほど、正義感が強い。
検察官は、やや攻撃的性格が強い。
弁護士は、どちらかというと、まあまあ的な中和主義の人が多いそうです。
よく、ヤメケンとかいって、検事を辞めて弁護士になる人がいますが、
若いころ血気盛んだった価値観が、年と共に丸くなって、
検事から弁護士に転換するのじゃないか、と言ってました。

 

ま、最終的な判断をするのが、裁判官ですから、ここが正義の最後の砦なわけです。
ですから、時に、正義はあるのか、と思うような判決も、
法の定めでは、その解釈は妥当である、という事なんですね。


その意味で、法をどのような考え方で定めるかが基本になるわけです。
ここを決めるのは、法律を制定する本丸国会です。
この国会が正義の本丸なわけですが、
どうも足元が危ない。
時々不思議に思うのですが、今回のコロナで、医療体制について、
法改正をして、対応をしやすくする、ということで急遽法の改定をしましたが、
法が邪魔になって、命を救えなかったとすると、何の為の法律か、ということになりませんか。
ことほど左様に、法治国家というのは、時に不器用な運営を強いられるわけです。
目の前で死にそうな人がいるのに、法律議論をしているわけですから、
なんかヅレがあると、思うんですね。

 

今回、いかにもその不自由な法の束縛で、不思議な判決が出されました。
高齢者による交通事故で死者を出したにもかかわらず、
前橋地裁で無罪判決が言い渡されました。
この事件は2018年1月、当時85歳の男性が運転中に意識障害に陥り、
対向車線の路側帯を自転車で走っていた女子高生2人をはねてしまったんですね。
高校1年の女性が死亡、高校3年の女性は一時重体となりました。
公判では、被告の長男が父親に罪の重さを受け止めてほしいと
「無罪ではなく、実刑にしてほしい」とまで身内からも陳述されていたにもかかわらずです。
まさに、これは、いくら父親であっても、正義は正義だ、と感じたからでしょうね。
しかし、前橋地裁は無罪判決を下したのです。


この被告はしばしば、物損事故を起こし、家族から運転を控えるようにと言われていましたが、
何か、意地があったんでしょうか、しばしば意識障害を発症しながらも、運転を辞めなかったんですね。
判決では『正常な運転が困難になることは予見できず、運転を控える義務を負わせることはできない』ですって。
さらに、

「事案の真相を見誤ると同じような悲劇を繰り返すことになる。
被告個人に事故の責任を課すことはできない。
これは悲劇を繰り返さないための無罪判決です」と説明をしたそうです。

 

何?悲劇を繰り替えさないために、無罪判決?
納得できますか、この論法。

しかし、裁判官という有資格者の考えが、最終的な判断になるわけで、
そういう判断が可能な法律に問題がある、と考えるべきでしょ。
で、実際、問題があると思うなら、そこの法解釈を、正義に基づいて行うべきで、
不備な法律である、という自覚があるなら、裁判官の正義はどこに行ってしまったんでしょうか。
時に、法に従うことが正義とは言えないことだってあるはずです。


しばしば、精神錯乱とか、精神異常とか、意識障害とか、

要は刑事事件の被告として、その責任を問えるかどうか、
という瀬戸際の話が出ますが、ここの基準が甘いと思うんですね。
つまり犯罪を起こしても仕方がない人がいるということです。

要は、その罪を問えない人がいるという事です。
これって、安全な社会の条件とは思えません。
そういう法律なんだからしょうがない、と受け入れるしかないのでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:32 | comments(0) | - | - | - |









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