水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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コロナが早く退散しますように

私が、物心ついた時には、紅谷町にある料亭の住居部分で寝起きしていました。
ですから、七夕祭りが始まった時から、ずうっと眺めてきましたし、
後に製作にかかわるようになったのです。
.
子供のころは、お祭りと言えば、非日常のことのわけで、
子供にしてみれば、とても楽しい期間だったわけです。
正にお正月なんかよりはるかに魅力的なイベントでした。
もちろん飾りを鑑賞することもさることながら、それに付随して出展する露天商も
これまた魅力的な存在だったわけですね。
綿あめやりんご飴、焼きそばやお好み焼き。
金魚すくいやヨーヨー釣り、中にはひよこの販売など、
子供の気を引くような露店がずらりと並んでいて、
正に子供天国だったので、七夕期間中は、家を一歩出ればそこが、七夕ランドなわけで、
こんな充実した5日間はなかったと思います。
.
で、長じて、父の命で高校のころ七夕飾りを作るようになったんですね。
最初のころは作り方そのものもよくわかりませんでしたし、
デザインと言っても、粗雑なものでした。
やがて、回を追うごとに工夫がなされ、それなりに様になっていったのですが、

3〜4年たったある時、七夕飾りコンクールにエントリーすることにしたのです。

正直、紅谷街(そのころの名称です)では飾りがまばらで、
七夕祭りと言えば、東海道筋(今のスターモール)が中心でした。
飾りも、規模、デザインのセンスと言い、比較できないくらいの差があったと思います。
ヘビー級のボクサーとフライ級のボクサーが同じリングに乗るようなものです。
でも、まあこれも経験とエントリーしたのです。
当時、確か佳作という評価ランクがあったのですが、この佳作に入選しました。
入選といったって最低ランクの位置です。
でもまあ、遠い七夕飾りの世界に、ちょっとばかり近づくことができたわけです。
以来、どうせならもう少し高みを目指そうと、年々工夫を凝らし、
入選は標準的位置になってから、
だったら、さらに上の準特選を目指してみようと思ったんですね。
で、これもなんとか行けるようになりました。
そのころは特選が2席、準特選が5席ありました。
今は、特選2席、準特選2席です。
で、この準特選には常連になれたのですが、
そのころに、特選を狙うという考えはありませんでした。
ざっくばらんな話、製作手間はともかく、材料費を見積もると、
準特選で、30〜50万円くらい。
特選を狙うなら、100万円は必要だろう、と思われたのです。
ちょっとそこまでの予算を組み切れなかったので、
準特選で良しとしたのですね。
まあ、当時で、200本ぐらいのエントリーですから、
ベスト5ぐらいというのは、まあまあの位置でしょ。
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で、舟平があったところを再開発にかけることになって、
七夕祭りから撤退をしたのです。
この空白期がおよそ10年。
たまたま再開発で建設したマンションに引っ越してきたので、
むくむくと七夕製作の虫が頭をもたげてきたんですね。
再開の当初は、紅谷町の子供会の作品でした。
で、これが、街角広場での掲出が物足りなくなり、
パールロードに場所変え。
で、さらに昨年は、飲食店有志により資金集めをし、
七夕竹飾りコンクールの本選に参戦したのです。
まあ、おかげさまで、準特選。
昔取った杵柄とはこのことですね。
.
この空白期を除き、七夕飾り製作にかかわったのが、およそ50年間。
最初のころは無我夢中で作りつづけてきたのですが、
ふと考えると、この七夕まつりとは何ぞや、と考えるようになったんですね。
まあ、自分なりの考えですが、そもそもの始まりは、
焼け野原だった平塚の町を復興させ、市の内外に、
平塚商業ここにありと宣言すべく、平塚商業のシンボル的イベントとして始まったわけです。
.
私は商業イベントという位置づけにずうっとコンプレックスを持ち続けていました。
でもたとえ、商業イベントであれ、歳月を重ね、文化としての要素を醸成してゆけば、
いつか、商業イベントから文化に脱皮する時が来るはずだ、と思っていたのです。
そうこうするうちに、七夕から離れることになってしまったのですが、
この空白の10年間で、なんとも不愉快な決定がされたんですね。
それが、開催日の決定を、7月初旬の日曜日を軸に、3日間の開催とする、ということなんです。
つまり、暦のめぐり方では、7月7日が含まれなくなる日程の年が出てくるんですね。
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どう考えても、七夕まつりは7月7日でしょ。
これは五節句の一つですから、中国から平安期に伝わってきた
正に伝統にお行事です。
もうこれは、日本の文化の一つなんです。
でも、平塚では、集客を前提として、7日より日曜日を選択したんですね。
つまり、文化的な要因をかなぐり捨てても、
儲け主義の商業祭としての位置づけを優先させたということです。
このことを聞いた時、本当に情けない思いがしました。
要は金勘定なのか、と。
いいかえれば、こういう決定をした祭りの実行委員会、市の幹部連中の中に、
文化を理解できる心がなかったと言うことでしょ。
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ですから、今年、もし七夕が開催されていたら、7月3・4.5日になっていたんですね。
7月7日は外れていたんです。
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今年このコロナ騒ぎで、湘南ひらつか七夕まつりは中止になりました。
とはいえ、七夕様という、古来の五節句に行事は、コロナとは関係ないでしょ。
むしろ、願掛け、という祭りの性格からして、
せめて子供たちに、短冊に願い事を書いてもらおう、ということになり、
中心街の若手を中心に、七夕様はやめません、という趣旨のイベントが企画されたのです。
断っておきますが商業イベントではないので、集客は目指していません。
ただただ、子供達の純粋な夢を文字に書いてもらおう、という企画です。
いまのところ、短冊の枚数は3万枚。
これを7月になったら、紅谷町のまちかど広場に掲出しようということです。
そのモニュメント的星の製作を私が担当しました。
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当然ですがこの飾りは、7月7日までは掲出します。
だって、七夕様は、コロナとは関係ないでしょ。
コロナ早く退散しますように、というのも、立派な願い事ですからね。

| 水嶋かずあき | 平塚のこと | 12:19 | comments(0) | - | - | - |









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