水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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経験の評価

当事者でなければ分からない感情があることは重々承知です。
でも、百歩譲っても、もう少し考慮する余地はないのか、とはたでは思えてしまうことがあるでしょ。
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2011年3月11日の東日本大震災で壊滅的なダメージを受けた岩手、宮城、福島の沿岸部の市町村で、
いったん落ち着いたところで、あと片付けが始まりました。
で、ものによってなのですが、なかなか手が付けられないところが出てきて、
結局それらの処分は後回しになったのです。
そうこうするうち、いくつかの建物は骨格だけのような状態になっているので、
改めて、震災遺構として、このまま残したらどうか、という議論が出てきました。
私は、部外者ですし、当時者ほど強い感性でこの問題を受け止められなかったものですから、
結構無責任に、残せばいいじゃないか、と思っていたんです。
その姿を見る中から、様々な感興がわいてくるでしょうし、
悲惨な出来事を思い出したくない、と言う感情も分かりますが、
それを超えて次世代に何を教訓として残すのか、と言うことが大事だと思うんです。
なにも、マイナスの感情でけでなく、それ以外のものへの価値もあるはずだ、と。
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原爆ドームがその意味での戦災遺構です。
14万人が犠牲となったその悲しみはたとえようもないものだったと思いますが、
逆に、それでも残ったドームの骨格は、この悲しみを忘れない、と言う
平和への誓いにつながっていると思うんですね。
不愉快な思い出を呼び起こすということで、取り壊すことはできたと思うんですが、
そうはしなかった。
人類最初の核の犠牲の地として、人類に対する警告の場になっているわけでしょ。
物は捕えようですが、毛嫌らう理由はないと思うんですね。
どうとらえ、どう活用するかじゃないですか。
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三陸にはしばしば津波が襲ってきたので、
その教訓を次の世代に伝えようとした形跡はいろいろと残っていたのです。
詳しい地名は忘れましたが、東日本大震災の際に津波に襲われ、
多くの被害を出したある集落の話です。
一段落して、ぽつぽつと後片付けするために、
集落の人がいくつかのグループに分かれて、残骸の片づけをしていた時のことです。
大きな身の丈ほどの石板が津波に押されて倒れていて、これを力を合わせて立ち上げたんだそうです。
で、その石板の表を見て、なんとこんなことが彫りこんであった、と改めて感じ入ったということなんです.
それには、「この先(この石板より海側と言う意味)家を建ててはいけない」と。
つまりご先祖が、津波の経験から、子孫に、これより海側に家を建てたら、
津波の被害にあうから建てるな、と警告したわけですね。
で、問題は、こんな石碑が建っていた、と、誰もが気にかけていなかったし、
知らなかった、というのです。
確かにそのころ(いつかは分かりませんが)せめて、石に刻むことが遺構の一つだったんでしょうね。
しかし、その町の人々は、いつか見慣れてしまって、その存在すら感じていなかったわけです。
ちなみに、その石板の海側には、ご先祖の警告を無視し、
建てられた家が多くあって、津波の被害にあったそうです。
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なんか、記念碑的なもの、時に人物の銅像であったり、
石柱であったり、構造物を建てますが、それぞれに経緯があって、
それにまつわる思いが、作り出したのだと思うのです。
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アメリカで、妙な動きが広がっています。
イリノイ州シカゴとコロンブスの、
またバージニア州リッチモンドで、南北戦争時の南軍司令官像を撤去する動きがあったそうです。
例の、白人警官による黒人暴行死事件に端を発した人種差別抗議デモで、
植民地主義や奴隷制度容認の象徴だとして撤去を求める声が強まっていたとか。

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正直、これはやりすぎでしょ。
今となってはマイナスの歴史的評価になっていたとしても、
マイナスをプラスに転化できるのは人間に知恵ですから。
コロンブスのおかげで、今私たちはこの大地で暮らしているのではないか、
と考えて不思議ではないでしょ。
南北戦争については、国民同士が血で血を洗う闘争をしたわけで、
正にこれは負の遺産ですが、
それを真正面から見ることによって、
国民を分断するようなことは断固避けなければけない、
と考えればいいことで、
目障りだからと言って、過去の栄光を葬り去るのは、
人間としての節度にかけているとしか言いようがない。
アメリカ人の民度もこの程度か、と、鼎の軽重を問わかねないでしょう。
最近年を取ったからなのか、過去の出来事をよく思い出します。
そして、それらの日々の延長に今日があるんだ、と実感するんですね。
これは民族にとっても同じことで、
310万人の戦争犠牲者の上に、今日があるんだ、と捉えれば、
過去の出来事をただの負の遺産としてみるということは無くなると思うんですね。
肯定すべき経験の一つだった、と。

つまり、負の経験を意味あるものにする捉え方、と言うことです。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:36 | comments(1) | - | - | - |
新潟県長岡市の信濃川沿い、県道589号線を走行中に、2004年中越地震で母子3人が生き埋めになりました。山のような瓦礫の中からレスキュー隊員が幼児を4日後に救出している映像がテレビで放映されました。その崩落現場が、今でも当時のままの姿で保存されています。中国の四川省で8万人を越える死者を生んだ大地震が2008年にありました。その中のある町全体がそのまま保存されています。大災害が起きる度に(数百年に一度の災害)とか格付けしますが、数百年経てばただの出来事に成り下がります。ジェネレーションが3代も過ぎれば、どんなに恐ろしい出来事も大方そんなもんなのでしょう。どんなに立派な災害記念碑や記念館や記録資料があったとしても、長岡や四川省の災害現状保存遺構ほど強い説得力に勝るものは無いでしょう。東日本大震災の被災地には出来ることであれば、幅数十メートルで津波が内陸に到達した地点まで、劣化処理をした災害時永久保存遺構を数ヶ所でも
遺して、子々孫々に注意を促すのが罹災ジェネレーションがすべき次世代以降に対する貢献ではないでしょうか。数年前ベトナムのホーチミン市の戦争記念館に行きました、米兵がくわええタバコで爆死した首と片腕だけのベトナム兵を掴み挙げている写真、ナパーム弾のダイオキシン汚染による目を背けるように悲惨な奇形児の写真など目の当たりにして、この国の大災難に対する客観的な姿勢に納得する一方、我が国の悲惨な大東亞戦争の記念館が誠に貧弱であることに憂慮を覚えました。
大東亞戦争から2,5世代、百年も経たない内に憲法を解釈で変えて戦争をしない国を戦争をする国にして、昨今は敵基地を先制攻撃するとまでほざいている国家元首には、遺構などの歴史認識も眼中に無い、特攻を志願しているのでしょうか。独りでやれば!




                          
| Jfk Jfk 緑川 | 2020/07/29 12:04 AM |









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