水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
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初心忘るる勿れ

今住んでいる紅谷町のマンションは、以前は、舟平を営業していた土地でした。
20年ほど前のことです。
私は、紅谷町の、いわば目抜き通りでうなぎ屋をやってはいるものの、
木造二階建ての店舗について、このままでいい訳がない、と考えていました。
一つは、それなりの経済性がある地域で、2階建てと言う土地の利用度でいったら望ましくない状態である、
と言う考えが強くなっていったのです。
もう一つは、改造に改造を重ねていましたので、正直、地震が発生した時は非常に弱い構造でした。
このことを承知していながら、問題解決をせず、放置していて、
それこそ地震が起きて建物が倒壊したとします。
昼時のお客様が食事をしているときかもしれない。
お客さま、仕事をしている社員、そして自分も含め、

もしかすると命に係わる結果になるかもしれない、と考えたのです。
これは、もう、一つの犯罪でしょ。
何とかすれば何とかなる状況を作ることがそこを管理する人間の義務でもあると、考えたんですね。
効率的な土地利用、地震対策の二つの理由で、ビル化を考えました。
で、早速建築会社に設計を依頼したのです。
.
ある時、鳥保のカウンターで寿司をつまんでいました。
と、隣の席に、隣のビルのあいすけちゃんが、寿司をつまもうと、座ったんですね。
まあ、世間話をしながら、現在進めている建築計画のことを話したら、
あいすけちゃんは、実は俺もそろそろうちのビルを建て替えなきゃ、と考えていたんだ、と。
だったら、共同で新しいビルを建てよう、そのほうが無駄がない、と。
妙に話が盛り上がって、二人は立ち上がり、握手をしたんです。
一緒にやろう、と。
で、翌日、早速顔を合わせて、今後のことを検討しました。
そこで出てきた話が、どうせなら、この一角全体で再開発に挑戦しよう、と言うことだったのです。
で、その足で、紅谷町9街区の一角で医院をしていた永瀬先生のところに行って、
二人の計画を話ししたのです。
なんと、永瀬先生も、来院者の駐車場の問題で、建物の改築計画をしている、と言うことだったんです。
で、二つ返事でこの話に乗ってくれました。
そこで、早速、市の開発担当者と面談し、平塚では第一号となる再開発計画に着手したのです。
再開発の実行委員長は、永瀬先生にお願いしました。
俺だとか、君だとかでは、世間の通りがよくない。
ここは永瀬先生だろうとあいすけちゃんの主張。
ま、その通りですね。
なんだかんだと10人余りの地権者がいて、何度も何度も打ち合わせをしました。
細かいいきさつは省きます。
ともかく驚くような場面が次々と出てきて、その都度それに対応したものの、
計画の進行をあきらめかけたことも二度ほどありました。
.
最初にぶち当たった問題は、この再開発計画のディベロッパーがどうしても見つからなかったのです。
ディベロッパーなしではなんとも話にならないので、ここで一度諦めかけたのですが、
まあしぶとく粘って、何とか引き受け手を探し出しました。
次に大問題が発生したのです。
それは、あいすけちゃんが、この計画を進めるために土地の共有者である兄弟に話したら、
大反対を受けたので、参加できない、と言い始めたのです。
計画は根底から覆されてしまいました。
この時、さすがにあの温厚な永瀬先生も、渋い顔をして、

水嶋君、この計画は断念しようか、と言い出したのです。
私は、なぜかこういう逆境に結構のんびり構える癖があって、
何とかなるでしょ、がんばりましょうよと、弱気になっていた永瀬先生に言ったんです。
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ま、そんな紆余曲折もありましたが、再開発と言うこの町にとっての最初の計画だったこともあって、
市の開発系の部署がかなりサポートしてくれたのです。
そして最終的な設計も出来上がり、着工。

寿司屋から始まって2年ほどかかりました。
そして1年を超える工期をかけて、地上22階のタワーマンションが出来上がったのです。
.
私は、マンションの完成を見届けると、それまであった舟平、串平の2店が無くなったわけですから、
松風町の自宅に引っ込んだのです。
まあ後は、マンションの床を買った人たちで、そこそこに運営されてゆくだろう、と。
このマンションに地権者として所有している部屋もありましたが、
実際住むわけでもないので、
高みの見物どころか、見物さえしないくらい、他人ごとだったんですね。
.
10年ほど前のことです。
マンションの定時総会が開かれ、たまには顔出ししなくちゃ、と会場に向かったのです。
今は無くなりましたが、崇善公民館の一室で開催されました。
で、まあ普通に年次の報告やら決算案の承認、予算案の承認など、議事が進行していき、
最後のちょっとした時間、フリートーク風に、その他の意見を受け付けたんですね。
と、ある年輩の男の人が、マンションの運営の不備をあれこれ言い始めたのです。
まあ形としては、問題提起と言うより、

ひな壇に座っている理事長をはじめとする理事たちを非難したわけです。
私は妙なことだな、と思いました。
何より、マンションの管理組合の理事は、順番制で、ある年、役が回ってくる、と。
これは公平な役割り分担という大義があるので、一年間は我慢をして、理事就任となるわけです。
なおかつ理事長はその中でも貧乏くじを引いたように就任をする場合が多いんです。
この人たちを非難しているんですね。
おかしいでしょ。
今、非難している人も含め、マンションで生活している多くの人のために
彼らは彼らなりに努力をしてきているのです。
私は、せめて、最後にだれか代表として、一年間の労をねぎらうべきだと。
それにしても、なんとガサツな雰囲気のマンションなんだろうか、と感じたんです。
私が作りたかったマンションは、
そこに住む人が、このマンションに住んでいてよかった、
という幸せを実感できるようなマンション生活を目指して、建築を推進してきたわけです。

みな、穏やかで安寧の日々を暮らし、独自の立地と利便性を享受し、

一つ屋根の下で暮らす仲間として、敬愛の気持ちを持てるような、

適切な距離感を持った人間関係を構築できることです。
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総会でのガサツなシーンを目撃し、

これはいかん、と思い、その2年後松風町からマンションに引っ越してきたときは、
この時の思いを何とかしよう、と言う気持ちでいっぱいだったのです。
翌々年、理事長を引き受け、一年間運営をし、その最後の総会の時に、
コミュニティ委員会を創設したいと議案提出をし、可決してもらいました。
で、翌年、早速この委員長として手を挙げ、以来、コミュニティ委員長として、
マンションのコミュニティ形成のための事業をいくつか実施しています。
まず、一月元旦の早朝、屋上から初日の出を観る会、と言うのを開催。
寒い中、お汁粉だとか甘酒で体を温めながら、日の出を見て、新年のあいさつをする、と言うわけです。
3月は、新入生のお祝いの記念品の贈呈式を行います。
子供はこのマンションにとっても宝ですから、子らの成長を願うのは大事なことでしょ。
6月は、集会室で、子供会、シニア会合同で七夕飾りの製作です。

これを掲出し、昨年は全市の部で入選しました。
なんだかんだと、かれこれ一週間ぐらいのロングランです。
8月は、屋上で花火見物です。
これには、飲み物、食べ物たっぷりで、もちろん無料。
これも140〜150人ぐらいが参加します。
12月は、クリスマスのイルミネーションをかなり派手に飾り立てます。
覚えていたら、このシーズンにマンションまで来てみてください。
なかなかのものです。
ロビーには大きなツリーを飾ります。
.
こういう住民が交流する場を作ることが、
結果として、暮らしやすい環境を作り出してゆくことだ、と思っています。
爺になって来ましたが、体が動く限り、
マンション建設の初心を忘れず、がんばってみようと思っています。

 

| 水嶋かずあき | - | 06:25 | comments(0) | - | - | - |









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