水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
親の代わりのせがれの代行

次の国々の共通点は何かご存知ですか。
アジアでは、カンボジア、タイ、ブルネイなど、
中東では、ヨルダン、オマーン、バーレーンなど、
ヨーロッパでは、オランダ、スウェーデン、スペイン、ノルウェーなど、
アフリカでは、モロッコ、レソトなど。

正解できたら、相当に見識のある方です。
ま、この共通点は具体的に前述した国々以外も当てはまり、
地球上に22カ国あります。

 

さあそこで正解ですが、これらの国は王国なんです。
王様がいて、そのもとに国家が形成されています。
しかし、とはいえ、このご時世ですから、民主主義国家を標榜しているわけで、
王様とは、伝統的な血統により、在位し、いわば象徴的な存在になっています。
その意味では、日本の天皇陛下もそうですね。
なんかの拍子に、テレビの画面で、ベルギー国王が登場したりすると、
ベルギーには、まだ王様がいたのか、なんて認識を新たにすることがあるでしょ。
大半が、政治への介入をしていませんが、
ブルネイは例外的で、王様が首相兼外務大臣を兼ねています。
ブルネイは正式には、ブルネイ・ダルサラーム国と言って、
ボルネオ島の北部にあって、愛知県ほどの面積に、40万人の国民がいますけど、
ロシアや中国、アメリカなどの大国にしてみれば、箱庭みたいな国なんでしょうね。
とは言え、王様の権限は絶大で、自分の考えにより法律を決めてしまうほどの権力を掌握しています。
まあ、今時珍しいタイプですね。


それぞれの王室のしきたり、伝統があるのだと思うのですが、王様が変わり、
次に世襲すると、大体戴冠式と言って、跡目相続的な披露が行われます。

日本で言えば、即位式のようなものです。
英語の表現としては、ほぼ同義語的な扱いですので、
即位式=戴冠式、と言っても間違いではなさそうですね。
ま、伝統的血統の王様の世代交代ですから、国としてはそこそこの大きな儀式になるわけです。
したがって、国同士の付き合いとしては、表敬の意味もあって、
そこそこの立場の人がやってきて、祝意を表すわけです。
まあ、これも重要な国際間のお付き合いなんでしょうね。
そこで、やってくる人のその国でのレベルで、
その国の対応、立場が分かるわけです。

まあ、王様の戴冠式ではないのですが、
天皇陛下の即位式ともなれば、ほぼこれに同等の国際間での位置づけがあると思うんですね。
足元を観るわけではないですが、一つの尺度にはなるでしょ。

 

で、今いささかややこしい関係になっている韓国では、どういう方針なのか、と言うと、

韓国大統領、即位礼見送りへ 李首相の参列で最終調整、なんていう報道がありました。
まあ、首相では格下だけど欠礼はできないだろう、という配慮なんでしょうね。
親父が行くべきところをせがれに行かせるみたいなもんです。

 

江戸の小話です。
夏の暑い日に、縁側で汗をかきかきウチワを扇いでいる男がいました。

 

なんだってこう毎日、あつい日が続くんだろうね。
ええ、こういう時こそ、ざっと夕立でもくりゃあ、ちっとは涼しくなるのにな、
とぼやいていると、見る間に雲が広がり、ぽつぽつと雨が降り始めます。
おや、願ったりだね、いい塩梅に雨が降り始めた、
と言ってる間まもなく、ざあざあと本降り。
すると、ピカリゴロゴロと雷。
こともあろうに雷さんまで登場か、などと言っていると、
二、三度ピカリゴロゴロがあったのち、
今度は耳をつんざくほどの大音響で、
ゴロゴロドッカン、という音とともに地響き。
思わず縁側に体を伏せて、
一体何があったんだ、とびくびくしてると、庭の片隅に何やら見慣れぬるものがうごめいている。
あ、あれは雷を起こしていた辰(龍)の野郎だな。
どうやら失敗して雲を踏み外したんだ。
でもって、うちの庭先に落っこちてきやがった。
いやそれにしても、絵では見たけど、実物は初めてだね。
そうだ、こいつを縄でくくって、どこかの見世物にでも売り飛ばすか。
とまあとんでもないことを考えたもんで、早速縄を持って近付きます。
落っこちた衝撃で、地べたにうずくまって、うんうん言ってる辰は、
縄を持って立ちはだかる男がいたので、びっくり。
な、なにをしようとするんです、と。
男は、お前を縄でしばって、見世物にでも売り飛ばすんだ、と。
それを聞くと辰は、どうかそれはご勘弁くださいと命乞い。
男は、あまりに必死の懇願されたので、心動かし、
よし、お前にも事情はあるだろうか、ここは見逃してやろう。
でも、ただでと言うわけにはいかない。
いったいどうすればいいのでしょうか、と辰。
そうだな、じゃあ、こうしよう、今日みたいに暑い時は、

声をかけるから夕立を降らせてくれ。
涼しくなっていいじゃねえか。
暫く男は考え、でもねえ、夏はいいけど冬の雨というのは寒くていけねえ。
どうしたらいいだろ、と思案顔。
辰はそこで我が意を得たりとこう言います。
寒い時はせがれの子辰をよこします。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ノーベル平和賞

ノーベル賞ウィークが始まりました。
日本人が受賞すれば、それなりに話題になりますが、選外となると、あっさりしたもの。
せめて、受賞者とその理由位、もう少し丁寧に解説してもよさそうなものでしょ。
だって、彼らの功績は、自分の国に対するものではなく、人類に対しての功績だからです。
つまり、私達が生きてゆくうえで、大いなる恩恵を受けたということですから、
日本人かどうかより、私たち人類にとってどうかについて位、

情報をしっかりと流すべきだと思うのです。

 

ノーベル賞に関して言えば、米英などは、今更なのかもしれませんが、
まだまだ日本は、日本人が受賞することを気にしすぎます。
特にひどいのが韓国ですね。
どうもノーベル賞受賞渇望症にかかっているみたい。
だって、そもそもはノーベル賞は結果でしょ。
目標として目指すものではない。
それを、受賞者をいかに排出するか、みたいな狙いを持って、
国家予算を付けて研究者を養成するとなれば、
全然話が違う。
目標は、あくまで、人類の幸せな未来のためです。

 

さて、今年のノーベル賞のなかで、気になるところは、例の気候変動に関して
国連でスピーチをしたグレタさんです。
平和賞の候補の一人だとか。
私は彼女の演説を聞いて、深い感銘を受けました。
なんて勇気のある子だろう、と。

 

ところが、何故かこの子に対して、否定的な考えを持つ大人がいるようです。
彼女が言ってることは、

私たちの世代が今後生きてゆくうえで、
現在の気候変動は、決して望ましい状況ではない。
そうしてしまったのは、あなたたち大人でしょ、と。
まあ簡単に言えばそういうことです。
子どもたちに付けを回してしまった大人としては、彼女を否定する理由はない。
情けないことに、そこそこの知識人すら、自分たち大人の責任を感じていない。


「16歳の考えに世界が振り回されたらダメだ」(橋下徹・元大阪市長)。
「洗脳された子供」(作家の百田尚樹氏)。
「お嬢ちゃまがやってることが間違ってる」(作家の竹田恒泰氏)
などで代表されますが、私はすべての大人が、多かれ少なかれ現在の気候変動の引き金となった
経済活動の片棒を担いでいると思うんです。
もちろん私もです。
何かしなくてはと思いつつ、実際の行動まで踏み込めない。
時に、70億分の1の責任だから、と、気持ちの上で、逃げに入る。
しかし、敢然と、これに立ち向かった少女がいたわけです。
上記の批判的な知識人、それに彼女を否定する大人たち。
あなたたちは、現状を正しく認識したのか、大いに疑問です。
オゾンホールがどうしてできたのか、説明できるか。
一年間で減少してゆく森林の面積がどのぐらいか知っているのか。
人類が手にする食料の偏りを認識しているのか。
この地球が持続的に生産できる食料の量と、人口のバランスをどう考えるのか。
過去5回の生物種の大量絶滅の記録を承知しているのか。
プラスチックごみの海洋汚染の対策として、どんな手が打たれているか、知っているのか。
おそらく、生半可な環境知識で、物事を判断していて、
彼女の言う、現状の把握とその起因を熟知していないのではないか、と思うんです。
何より、彼女を非難する前に、環境問題に対して、
何か具体的な行動をとったかどうかでしょ。

 

彼女の行動から、改めて多くのの人が啓発され、
世界中のあちらこちらで、Fridays For Futureを評価し、
彼女の勇気をたたえ、賛同の行動を示し始めました。
それがすべての要因ではないかもしれませんが、
今年の9月下旬の気候マーチウィークでは、
なんと世界185カ国で、760万人以上がこのマーチに参加したのです。
彼女を批判した知識人と思しき人たち、また同様の誹謗をした人たち、
あなた方は、彼女の勇気と行動力のかけらもないじゃないか。
何を言おうと、世界を動かす力のかけらもないじゃないか。


たかだか小娘が、というねじれたおとなの思いがあるんでしょうね。
なさけない嫉妬に過ぎない言葉を吐くのは、ただ品性に欠ける行為に過ぎません。
同じ大人として恥ずかしい。

 

せめて、ノーベル賞を受賞し、さらなる活動につなげてほしいと願わずにはいられません。

| 水嶋かずあき | 環境 | 07:03 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
国際結婚

親戚の中の誰かが、結婚をすることになり、話を聞いたら外国人だという。
と、先ずでてくる質問が、どこの国の人?と。
でも、このたぐいのことって、さほど不思議でもないようになってきましたね。
いわゆる国際結婚。
私たちが自分の結婚を考えるころから比べると、ずっと開けてきたように感じます。
つまり、結婚すること自体に国籍の違いが障害になっていない、ということです。
愛が優先するんでしょうね。
結構なことです。

私達が勝手ながら心配するのが、言葉の障害。
もっとも、今時、ある程度の語学力があれば、正に愛があれば何とかなるんでしょ。
私は、日本語しかダメなので、ちょっと、コミュニケーションが不自由である、

なんて状態そのものが受け入れられないでしょうね。

まいずれにしても国際結婚はこれからもごく普通のことになってゆくのだと思います。

 

以前、2002年のサッカーワールドカップの時に、平塚にナイジェリアのチームが事前キャンプを張ろうと、
やってきたことがありました。
私は当時、ベルマーレのボランティア組織に所属していたので、
ナイジェリアチームの受け入れの時、様々な歓迎プロジェクトを立ち上げたことがあったのです。
そんな関係もあって、様々なつてをたどって、何とかナイジェリアの情報を手に入れようと、
動き回ったことがあったのですね。
で、あるルートから、ナイジェリア人と結婚した日本人妻の会、というのがある、と聞いたのです。
ちょっと驚きました。
そんな組織があったんだ、と。
で、これまた手を尽くして、彼女らの組織と接触したのです。
月に一回ぐらい、東京で例会のようなものが開催されるというのです。
私はのこのこ出かけてゆきました。
その人妻の会にです。
その日は、ナイジェリアの着物の着付け教室のようなものを開催していました。
ともかく、ただ着るだけでなく、帯を締めたり、頭に何やら飾ったりと、
そこそこ知識がないとできないような衣裳を着るんですね。
まあ、私はナイジェリア料理の内容を知りたかったので、着付け教室はどうでもよかったのですが、
その会合に、十数人の方々が来ていて、きっと会員はもっと多いと思うのですが、
日本在住で、アフリカのある国の人と結婚している女性が、組織まで作っている、ということに驚いたんですね。

 

アメリカ人、ヨーロッパ系となるとまあ国際結婚という印象がありますが、
最近はアジア系のさまざまな国の人との結婚も多いようです。
その意味では、国際結婚って普通になりつつあるんですね。

同じ人間なんですから、人間的なやり取りは、何の問題もないと思うんですが、
生活習慣とか、言語、また親戚に関わる付き合いなど、多少はややこしい問題が残りそうです。

 

こんな記事がネットに載っていました。
「海外の風習であっても、保育園児のピアスは駄目なの?」というタイトルです。
要約しますと、日本人妻からの投稿で、この方、西アフリカ出身の男性と国際結婚し
1歳の双子の女児を育てているそうです。
で、夫の母国では、女の子が生まれるとすぐにピアスをつけるという文化的な習慣があるのですって。
まあさまざまな習慣の違いがあるんですね。
割礼なんかも、聴けばそうなの、という感じでしょ。
で、問題は娘たちを保育園に入園させようとした時のことです。
希望した認可保育園は安全確保を理由に、ピアスを外さなければ通えない、と。
結構かっちりとそのことが書いてる入園案内書があるんですね。
まあ、危険だから、と言う事でしょ。
で、旦那は旦那で、これはイスラム教徒としての風習だから外すわけにはいかない、と。
外すと災いが降りかかると。
いや、付けてるから災いが降りかかっているんじゃないか、って思いましたけど。
で、ここは平行線。
結局女性はこの園をあきらめて他に志望を変更したそうです。

 

ま、一言で言えば、郷に入らば郷に従えなんでしょうが、
このご時世、郷もそれまで維持してきた在り方を、情勢に合わせて変更してゆくべきなんでしょうね。
ただ、宗教的な要因と言うのは、客観的な説得力がないでしょ。
豚肉が食べれないからと言って、豚肉抜きのトン汁を作るということになるわけで、
そこまでして、郷が他の世界の人を受け入れるというも、とかく摩擦の種になる。
国際結婚をするというのは、郷に従えない時のことを前提に決断すべきでしょうね。

 

ま、いずれにしてもこの類のことは、これからも頻繁に起きて、
そのたびに、郷の考えが少し変えられ、
ゆくゆくは、あらゆるところが均されてグローバルな風習になってゆくんでしょうね。
なんとなくですが、一歩づつ平和が近付いてくるのではないか、と思いました。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
汚職のメカニズム

ミレニアル世代と呼ばれる世代の人たちがいるそうです。
色々と調べてみると、1980年代後半生まれの世代で、
いわば社会の若手と言われる年齢層の人たちで、
主に、アメリカなどでの認識として、その上の世代とは違った価値観を持ち、
新たなライフワークを形成している世代のことなんですね。
いくつかの一般的な特徴を言えば、
料理は自分で作らず、出来合いを買う。
結婚して一緒に暮らすのではなく、一緒に暮らしてから結婚する。
育児の問題も上の世代に相談するよりネットで検索する。
などなど。


日本でも通用するでしょ。
一言で言えば物が豊かになってきたこと、
コミュニティの基礎が弱くなってきたので、世間体の概念が薄らいできたこと、
スマホ、パソコンの進化に順応していること、など、
複数の生活状況の変化に応じて生まれてきた「今時の若者」の特性なんですね。
日本的に言えば、平成世代とでも言えるでしょうか。

 

で、この世代の志向とか価値観は、

少なくとも今後の人間社会の基本的価値観になってゆくわけですから、
いいか悪いかの前に、そういうもんだ、と言う風潮の基礎になので、
私達の年寄りの考えよりも、重視されてゆくわけです。
いや、ひがんでるわけじゃなく、そういう社会になるという考えを受け入れ、
老いては子に従えを心すべきかな、と思っているということです。

 

で、このミレニアル世代を中心に世界180カ国で意識調査をしたデータが報告されていました。
テーマは「どこの国が汚職が多いか」と言うことです。
当然自国の評価もあるでしょうし、他国の評価もあります。
3万人が調査対象と言うので、まあまあ信頼できる結果だと思います。
それによると、世界で最もクリーンな国として1位はデンマーク。
2位に、ニュージーランド、3位フィンランド、以下シンガポール、

スウェーデン、スイス、ノルウェーと続きます。
で我が日本は18位。
ちなみに韓国は37位、中国は83位でした。
日本の18位がいいのか悪いのか、判断に迷うところです。
私達の庶民の感覚から、汚職の現場は程遠い世界ですよね。


汚職とは、利権とそれに絡む許認可に関して、規定を超えた判断を求めるのが基本構造です。
ですから、例の関電の越後屋風の菓子折りに金貨なんてことは、
いくら恫喝と強要があったとはいえ、
利権とそれに絡む規定を超えた判断が発生していたわけで、
記者会見でいくら弁明しようと、汚職事件であることは間違いないわけです。
まあ以前から取りざたされていましたが、原子力村と言う利権がちがちのコミュニティがあって、
その実態がボロッと出てきたにすぎないでしょ。
言っちゃあなんですが、おそらくすべての原子力発電に関する電力会社に関わることは、
多かれ少なかれ越後屋が暗躍しているということですよね。


まあそれもこれも日本が18位に甘んじている国としての体質なんでしょうね。
そういうことを良心の咎もなく行っていると、
結局は、死後に地獄に落ちるような気がするんですけどね。


そもそも、国と言うのは、基本的方向を示す長(総理大臣)がいて、
そのより具体的な方向を決る議員がいて、そのもとに現場で使える方策を決める役人がいて、
一つの国が運営されています。
で、多くの汚職は、このどこかで発生するわけです。

 

いまだに、政治献金として、わけのわからないお金を企業が政治家に渡していますが、
法的に正当に処理したとかなんか言いますが、
日本の民度と生活土壌として、何の見返りもない政治献金ってあるのか、と思いませんか。
街頭で被災地に募金するのとは違うでしょ。
見返りを期待しないお金を拠出する感覚というのは、まだまだ日本では十分に育っていないと思うんですね。
しばしば与党系のそこそこのボスの事務所で、政治献金の問題が出ますが、
まあなんだかんだと、汚職寸前の事態ではないかと思うんです。

 

十把一絡げになるかもしれませんが、
スポーツ団体のトップがしばしば組織内での密告で、

その運営の在り方に疑義を持たれることがあります。
ボクシングがいい例でしたし、今度はテコンドー。
これだって、トップの権限によるある種の汚職じゃないでしょうか。

もっともっとボランティア意識が生まれてこないと、
なんでも金で換算する汚職体質は消えないんじゃないでしょうか。

 

先日も報告しましたが、例の盲学校の読み聞かせのことですが、
ある友人が、私がこのことを言うと、それって一回いくらかもらえるんですか、と。
いやいやそれどころか、
一応、ボランティアとしての登録をすることになっていて、
わずかですが、年会費を収めるんです。

 

こう考えると、庶民の健全な意識の方が、
上の方で利権を扱っている輩より、ずっと清潔でしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
パワハラ認定です

チョウ・キジュ湘南ベルマーレ監督のパワハラ疑惑に関して、
調査委員会の結論が出され、
これを受けて様々な部署、人達からコメントがネットに乗りました。

実に様々ですね。


結論とは、まず、パワハラはあった、と。
その上で、けん責および監督への謹慎、5試合の指揮権の不許可と、
チームへのけん責および罰金200万円と言う裁定が出されました。

まあ、正直、全くの門外漢ですし、その調査報告書も見たことはないので、
情報として伝えられているネット上の記述だけでの判断ですから、
見当違いかもしれない、ということが大前提ですが、
私なりの感想を。

 

まずは、チョウ監督は、かなりの熱血漢ですから、
まあ、アウトセーフギリギリなんだろうな、とは思っていました。
ただ、伝えられたところによれば、かなりきつい言葉があったようです。
きっと暴力寸前の過激な行動もあったのではないか、と。

 

私は、サッカーのゲームを見ながら、一般的に監督の行動を見ていて、
さぞかし歯がゆいことが多いだろうな、と思っていました。
つまり理想とする動きとずれが出てきた場合、正にピッチの外から、
あれこれ指示を出すことと、場面に応じて選手交代をするということ以外、
試合中に出来ることはないわけです。

 

私はその昔、学生芝居ながら、オリジナルのミュージカルの演出をしたことがあります。
芝居も、踊りも、歌もそれぞれの担当がいて、

作曲だとか、振り付けだとか、分担するのですが、
総合的に全体をまとめて、けいこを通じて、

望ましいステージの構成をするのは、演出の権限と責任なんです。
学生ですから、なかなか理想のレベルにはならない。
でも精一杯、くりかえしの練習で、その精度を上げてゆく。
なんだかんだと、3か月以上は稽古するんです。
上演は、一回、2時間程度。
その瞬間のような時間のために1000時間を超える準備をするわけです。
で、いよいよ舞台が始まる。
演出としては、今までけいこを続けてきた中で、すべてを演者に伝えてきた。
だから、一度幕が開いたら、ただ見ているしかない。
つまり、あとは、彼らを信じて見守る、と言う事なんです。
1000時間と言う時間は、彼らを信頼するための時間ですし、
彼らが、歌や踊りやセリフなど、一つ一つの舞台構成要素に魂を込めてゆく時間だったんです。

 

私はサッカーの試合を見るたびに、監督の心中をいつも考えていました。
ミスが出れば、なんでそんな動きをしたんだ、
練習であれほど言っただろう、とか、
特に失点した時など、心が切り割かれんばかりの思いをしたのだと思うのです。
もちろんそれに反して、いいプレーや、得点した時など、それはそれで大いなる喜びだと思います。
ま、いずれにしても、芝居の演出も、サッカーの監督も、
当然ですがベストと言う状況を理想として、そこに近付けるためのトレーニングをしてきたわけです。
で、本番では直接的に口出し手出しをできない。
正にあなた任せの時間になるわけです。

 

チョウ監督のようなタイプの人は、理想形の体現を目指す意識が強く、
その誤差には、きっと周囲が考える以上のストレスが生まれてしまうんでしょうね。
それだけに、それが強い言葉に変わる。

様々な情報を読む限り、そこまでひどい言葉だったのか、とも思いました。
しかし、チョウ監督のパワハラを是認するつもりではありませんが、
以前のブログでも書いたように、
たとえば、何とか大学のサッカー部の監督と、
プロのサッカーチームとのとてつもない差を考えるべきではないか、と思うんです。

 

大学のチームの場合もプロチームの場合も、
極力優秀な選手を集めるところが原則だと思うんです。
そしてトレーニングする。
チームワークを醸し出せるような方法を考え実施する。
そしていざ本番、勝ちに行く。
つまり最終的には勝とうとすることです。
しかし、大学のチームとプロのチームとの大きな違いは、
観客からの入場料で、チームが運営されていると言うことです。
もちろんスポンサーシップなど、協賛的な資金も含まれるでしょうが、
まあ、それでも観客が払うお金が基本になります。
つまり、金を払っても観るというプレーが要求されているということです。

こう言うスポーツと言うのは、相対的な問題でしょ。
特に大学などのチームの場合、戦力の弱いチームには、勝つチャンスがある。
その逆もある。
しかし、プロと言うのは、
勝ち負けもさることながら、金を払うに足って観るプレーが必要だということなんですね。

 

私は以前ナパサでチョウ監督と対談した時、この意識が強い人だ、と感じました。

まあ、言っちゃあなんですが、ベルマーレのチーム運営資金というのは、
Jリーグの中でも、17,8番目ぐらい。
決して裕福なチームではありません。
そんな中で、獲得できる選手へのギャラは、やはりそのレベルになるはずです。
で、そのレベルの選手で戦うのですから、何より勝ちに行くということが第一義、

さらには、観客が金を払ってくれるプレーをさせると言うこと、
ここに腐心するはずです。
まあ、この現実的な隙間が、ちょっとばかりストレスにつながっていたんじゃないかな、と思います。

 

何はともあれ、チョウ監督が現場に戻って来るようです。
これを機に、もしかすると、もっと素晴らし指導力を発揮するんじゃないか、と期待しています。
何しろ、チームは今崖っぷちに立っていますから、
なんとか立て直してほしい。

世間からはいろいろ言われたけど、まあ、いい経験だったね、と
シーズンが終わったら、苦笑いでもできるようになってほしいですね。

| 水嶋かずあき | ベルマーレ | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
まだ止められない人に

その昔のコマーシャル。
私はこれでやめました、と言ってタバコを止められるツールとして
禁煙パイポというものがありました。
おふざけで、小指を立てて、私はこれで会社を辞めました、と言うシーンが続く。
結構はやりましたね。


CMは有名になりましたが、それに比例して商品が売れたかどうかは知りません。
そう言えば、今時、禁煙パイポは売っているんでしょうか。

 

まあ、うっかりと面白半分に吸い始めたタバコが、病み付きになり、
結果としてヘビースモーカーになった人って多いと思うんです。

斯く言う私も、遊び半分に刷ったのが高校生のころ。
当然親に隠れてです。
でも、それほど習慣的になったわけではなかったので、気が向いたら、と言う程度で、
自分から習慣的にタバコを買ったという記憶はありませんでした。

 

本格的に吸い始めたのは、現役で大学に落ちて、浪人一年生の時の事。
とは言え、貧乏浪人ですから、両切りのいこいが精いっぱい。
その頃はフィルター付きのものは洋もく以外はなかったですね。
茶色の地に五本のラインが入っていて、まん中に4分休符がデザインされていて、
いかにも一服、という感じのものでした。
20本入りをほぼ1週間持たせる。
そこで、パイプを買ってきて、この紙巻きをまん中で剃刀でカット。
パイプに差して、正に根元まで吸うわけです。
まあ、簡単な話、ですから20本を40本にして吸うと言ったところです。
したがって、一週間で一箱ですから、一日、半分にカットしたものを6本分ぐらい。
ここ、と言う時に喫煙するんですね。

 

以来、大学の時はごく普通にタバコを吸ってました。
みんな吸っていたように思いますね。
私の学生時代の日本人の男性の喫煙率は、史上最高で、約80%。
殆どの大人は吸っていたわけです。
しかし、その後男子の喫煙者比率は低下の一途です。
JTもいわゆる斜陽産業になってしまうわけですね。
昨年の男子喫煙率は28%。

ほぼ3分の1でしょ。
ピークの50年前からの推移は、ひたすら減少し続けます。
不思議なのは、男子80%時代に、女子は15%ぐらい。
タバコと言えば圧倒的に男の趣向品でした。
で、この50年間を見ると、ほんの10年ほど前までは、女性の喫煙率は変わらず、

15%辺りを維持し続けているのです。
ここ最近減少し、9%と、やっと1ケタ台になりました。
つまり、男がたばこを吸うのは、4人に一人。
女がたばこを吸うのは、10人に一人、と言うのが現状です。

 

と言うことは、全盛のころから見ると、ずいぶんの人が禁煙に挑戦し

それに成功したわけでしょ。

まあ、なんだかんだと、よく止めましたね。
私も何度か禁煙にトライ。
数回の復活劇の後、最後は何とか禁煙を達成したのですが、
この時に、なんでタバコなんて言うものを知ってしまったんだろう、と、

訳も分からない理由を恨んだものです。

 

最近、ますます喫煙者は肩身が狭くなってきました。
で、非難の矛先をかわそうと、電子タバコとか、加熱式に切り替えているようですが、
ここに来て、その加熱式でも健康上望ましくない、

と言うデータが繰り返し情報発信されています。

 

最近の情報。
アメリカの疾病対策センターが、

」電子たばこの使用と関連した肺損傷とみられる症状の患者が1080人に

増加したと明らかにしたのです。
で、一連の集団発生における死者は18人に上っている、とか。
ここのロバート・レッドフィールド局長は、
「青少年をはじめ、米国民の健康にこの集団発生が及ぼす脅威は増大しており、
残念ながら、これは氷山の一角にすぎない可能性がある」と述べたそうです。

 

まあ、ざっくばらんな話、紙巻きたばこよりはましだろうと、切り替えたものの、
なんだかんだと健康被害は少なくなることはなく、さらに問題は悪化しそうだ、ということです。

色々と細かいデータが報告されていましたが、
集約すれば、暗い数字の羅列だったんですね。

 

実は、このデータを見るまで、加熱式と、電子タバコの違いを知りませんでした。
で、その比較としては、加熱式と、電子タバコの合計と、紙巻きたばこの人の比率は半々。
で、紙巻きから加熱式に切り替えた人が、大半で、
最初に加熱式を吸い始めてタバコの世界に入った、と言う人はほとんどいないのです。
きっと何らかの健康被害を気にし、周囲の嫌煙状態に気を使って加熱に切り替えたのでしょうが、
ほとんど意味がない切り替えだった、ということのようですね。

 

まあ、冷静に考えてみれば、人間の肺は空気を吸い込んで、

そこから酸素を取りだそうという器官です。
そこに、異物を吸い込んでいるのですから、
どう見ても体にいいわけないでしょ。
にもかかわらず、相変わらず、加熱式だか、電子タバコだかを手放さない人がいるということ自体、
喫煙の習慣性に侵されているんですね。
ま、ごく軽い麻薬みたいなもんでしょ。

 

紙巻きを止めて加熱式に移ってもさほど状況は変わらない。
前門の虎、後門の狼です。

早いとこ窮地を脱出したら、と思うんですが。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 14:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
読み聞かせの体験談 その2

 

昨日の続きです。

 

そして、いよいよ、10月1日、第一日目を迎えました。
出かける私をかみさんが励ましてくれました。
夕方5時半にマンションを自転車で出発。

前照灯が必要なくらい日も暮れて暗くなっています。

私は、パイロット通りを直進し、総合公園の角で、左折、

もう学校に向かいました。

出かける前までは、いい年こいて、ちょっとばかり不安があったのですが、

行く道、不思議と不安より期待が膨らんできたのです。
なんとなくですが、今までにない素晴らしい時間が過ごせそうだ、と。
なにより、本を読み聞かせるという事の意義もさることながら、

K君との間にどのような心の交流ができるか、と言うことも期待の半分でした。

そして、1時間の間、本を読むということのエネルギーがどれほど必要なのか。

また、初見で、つっかえずに、表情豊かに内容をどのように読むのか。

多少の不安はあったものの、

文章を読む技術、内容の表現の仕方などは、

この何十年かナパサやSCNの活動で培ってきたじゃないか、
と思ったんですね。

まあ、なんとかなるだろうと。

そうこうすうちにもう学校に到着。

前の見学の時に教えられたところに自転車を駐輪。

校舎の中の一室に、準備のためにボランティアが寄る部屋があって、

すでに原さんは到着していました。

続々とボランティアが集合。

そこで待っていると、その日の子等が6人、先生に連れられてやってきたのです。

 

本年度の後期の第一日目と言うことで、
改めて、子等の自己紹介と、我々ボランティアの自己紹介が行われました。
この間も、K君は飛び跳ねていたんです。
再び、不安が頭をもたげてきました。
ここまで来て、バタバタできない、まあ、何とかなるだろう、と。
この日の読む本は、電車おたくとでも言えるような作者が書いた物語。

「電車で行こう、山手線で」と言うタイトル。
前回まで60ページほど読んであったので、今日はその続き。

 

K君は広い10畳ほどの部屋の壁際に畳が敷いてあって、
そこに座っています。
私は、K君が使っているであろうイスを持ってきてその真ん前に座りました。

マンションの自販機で買ってきた「梅よろし」と言う清涼飲料水を2本買ってきたので、

一本を彼にプレゼント。

どうもやたら飲んではいけないようで、炭酸は入っていないか、と聞き返しました。

入ってないよ、と言うと、でも、念のため、後で先生に確認する、と言うことだったんですね。

なかなかルールを守るいい子じゃん、と思いました。

改めて自己紹介をして、K君の年と私の年の比較をしたんですね。
K君15歳、私75歳。
還暦ほどの年の差、というか、おじいちゃんと孫です。
ま、世間話はそこそこに、本を読んでもらうように、と、先生からくぎを刺されていたので、
では続きを読むよ、と、開始の合図。
もしかして話の途中で、奇声を上げたり、ぴょんちょん跳ねたりしたら、
まあそれなりに鎮めればいいか、と思っていたんです。

彼は膝を抱え込んでじっと耳を澄ませているようでした。

思いのほか静かに聞いてくれたのです。


私が物語の主人公の名前をちょっと間違えて読んでしまったのです。
私はそのことに気づきませんでした。
K君が、ちらっと何か言ったんです。
私は彼の口に耳を近付け、何?と聞きました。
小さな声で、名前が違う、と言いました。
私は謝り、訂正し、その先を読みました。

 

この物語は、もちろん、全盲の子が聞かされるなんて想定していないので、

やたらと色の表現が出てくるのです。

河口湖で初日を見るシーンがあるのですが、

日の出前の空が、ピンクから紫色に染まる様子。

陽が出て、湖面がオレンジ色に光り輝くところなど、文章として出てくるんですから、

そのように読みます。

私は色や形が表現されるたびに、ちゃんと情景は心の中で結ばれているのだろうか

と心配になってしまうのです。

別な章で、山手線の新型車両の記述が出てきます。

E235系と言うのだそうです。

この車両の形態や、外観の色、車内のレイアウトや

椅子や床の色など、普通に表現されるのです。

勝手ながら、そういう場面はちょっと心苦しく感じてしまいます。

見えない世界はどんなものかを想像するのですが、

私たちは、見える世界しか経験していないのですから、無理な話。

これは彼らにとって大変な努力がいるだろうなと思いました。

 

なんだかんだと読み続け、50ページほど読んだでしょうか。
さすがに、のどが乾いたし、物語の切りのいい所でもあったので、
ちょっと休憩しよう、と、持ってきたボトル飲料を飲んで、
ついでに時間を観たら、なんと6時59分。
あれれ、もうこんな時間だ、
残念だけど、今日はこれで終わりにしよう、と。
正直思いのほか時間が過ぎるのが早く感じました。
何より、K君はこの1時間、実に静かに話を聞いてくれました。
しかも、ちゃんと内容を把握しているのです。
なかなか頭のいい子です。

私の不安がっていたことは杞憂に終わったのです。

 

私は、余計な想像をしたこと失礼なことだったと反省しました。

あと2週間後が、再会の時です。
私がそういうと、彼は次の火曜日は10日ではないのか、と言ったんです。
私は決まりとして、2週間後が予定日なんだ、と謝りました。
彼と握手をして分かれました。
実にすばらしい時間を過ごすことができたのです。

なんと、なんとですよ、再来週、K君に合うのが楽しみに感じています。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
読み聞かせの体験談

久しぶりに長々としたレポートになってしまいました。

読み返してみてあまりに長いので、勝手ながら2回に分けます。

我慢して読んでください。

 

昨日体験したほかほかの湯気が立っているようなレポートです。

 

たまたま、このマンションの理事長の原さんが、ある時、ある席で、こんなことを言ったんです。
私は、ボランティア活動をしています。
それはもう学校の子等に本を読み聞かせをすることなんです、と。
何年も続けてきたそうです。

その具体的なきっかけを知りませんが、

彼がやってきたエネルギーは極めて人間的な動機だと感じたんです。

彼はこういいました。

人は、不運なことに、肉体的な障害を持つことがあります。

で、さまざまな障害の中で、最も過酷な障害は、目が見えないことだと思うんです、と。

私はまさにその通りだと思いました。

耳が聞こえないとか、手足を動かすことに障害があるとか、いろいろとありますが、

見えないということは、形も色も、まして光そのものも

理解できないのではないか、と思うのです。

ですから、点字などで本を読むことはできるにしても、

私たち健常者が本を読むのとは全然違うだろう、と。

本から与えられる情景をどのように頭の中に描くんだろうということです。

彼らの理解の仕方を想像すらできません。

 

そんなこともあって、私は、原さんのやっているボランティア活動にちょっぴり興味を感じました。

 

そもそも私は、本を読まないんです。
大学ぐらいまでは、読んでいましたが、卒業するとぱったりと読まなくなったんです。
でも、まれに本を買うことがあったんですが、

どれもこれも、最初の10ページぐらいで、集中が途切れてしまうんです。
逆に、読むのに集中しすぎて、先に進まない、あれこれ考えてしまい、夢想の世界が広がってしまうんですね。
以前、キリスト教の関係者の方々が編集した「愛のコミュニケーション」という本があって、

何気なく買い求めたのですが、
この最初の2ページを読むのに、2時間もかかってしまったんです。
ともかくそのぐらい、活字を読むのが遅いんですね。
ですから、途中でギブアップしてしまうというのが、常なんです。

 

結局読書に向いてない、と勝手に決め込んで、本を読まなくなってしまったんですね。
一冊読み通すことを、本を読む、と定義したら、ここ4〜50年は本を読んでいないのです。

 

で、あちらこちらで耳にしたのが、最近の子は本を読まなくなった、
大体がアニメというか漫画と言うか、そう言うもので代行してしまう。
漫画は、なんだかんだと絵の表現です。
顔かたち、周りの情景はすでに形として表現されるわけです。
言葉を聞いて、読んで、頭の中で情景を構築してゆくわけでない。
ですから想像力などが育ちにくい。
と言うか、脳みその使い方が異なる。
これはこれで問題でしょ。
まあ、私のように本を読まない大人が言うことではないのですが。

 

で、それはそれで問題だと言う認識があったところに、
目の不自由な子等に、本を読んで聞かせるボランティアが存在するって、聞いて、
私の癖にも近い、興味が鎌首を持ち上げたたわけです。
しかも原さんは、最近人数が減ってきて、活動に支障が出てきている、と。
つまり、できればどなたか手伝ってくれないか、と言う事なんです。

 

システムとしては、夕方6時から1時間、月に2回。
ふむふむ、それなら大した負担にはなりそうもない、と。
私はその説明を聞いて、暫く経って、私でよければお手伝いします、と返事をしたのです。

結局、実態を知らないまま、返事をしたので、まずは一度見学に来てください、と言われ、
先月の24日の午後6時、平塚の盲学校に行ってきました。

 

そして、5名ほどのボランティアの人と顔合わせをし、

引き続き、その人たちが進めている読み聞かせの場所をぐるりと見学したのです。
ぐるりとは、読み聞かせは1対1で行うんですね。
ですから、5名のボランティアがいれば、5人の子にそれぞれ、違った場所で本を読む。
また、子等も個性豊かですから、その子が読んでほしいという本を読む。

読み方としては、ボランティアのペースで読んでいるようです。

時に雑談、世間話もあったりするようで、それはそれなりの意味を持つようです。

接し方も本の読み方も正に五人五色。
でも、この形態は予想していませんでした。
勝手ながら5〜6人の子を対象に本を読むのか、と思っていたのです。

 

その見学会の時、水嶋さんが担当してもらいたい子は、この子なんです、と紹介されました。
仮にK君としておきましょう。
K君は、高校一年生。
全盲です。
細い華奢な体つきなんですが、ともかく元気な男の子、まあ言いようでしょうか。
ちょっとした合間には、なぜか飛び跳ねているんです。

その時は大体奇声を発する。
まあ、癖なんでしょうね。
で、この子が私の担当だ、とボランティを束ねている方が決めたんです。

それで、この後担当するであろうK君の部屋に行きました。
私と同年の女性の先輩のボランティアが、やさしい口調で本を読むのです。
K君は、何故か、始終言葉を挟んでくる。
これはちょっと厄介だな、と私は思いました。
きっとベテランさんでも、手に負いかねているのか、と思ったんです。
しかも初心者の私ですから、旨くやっていけるかと不安になりました。
正直、気おくれがしてしまったのです。
まあ、やるとなったら、こういうのってとことんでしょ。
私の年ですから、ろれつがまわらなくなったり、
視力が異常におちたり、と肉体的な障害が出てきたらともかく、
それ以外の理由で途中リタイアーはできない。
正直、久しぶりに結構な決断をしました。

 

とは言え乗りかかった舟です。
先に進むしかない。

 

そしていよいよ第一日目を迎えます。

明日はこの続きです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
チャンバラごっこ

早稲田大学の学生の頃のことです。
確か3年の時だったと思うのですが、秋に開催される文化祭に
芝居を一本上演しようという話が仲間から持ち上がりました。

で、急遽時代劇研究会なるものを立ち上げ、
演出兼台本作者兼プロデューサー担当のものが駆けづり回り、役者やスタッフを集めてきて、
なんとか動き始めたのです。
私は、役者として駆り出されました。


で、物語は幕末のころの勤王佐幕の争いです。
当時、60年安保の余韻がまだまだ漂っていて、その状態をなぞらえてのストーリーでした。
時代背景から、物語の中に、しばしばチャンバラが入ってくるのです。
1対1とか、複数対複数とか、まあシチュエーションは様々でしたが、
立ち稽古の時は、殺陣(たて)の専門家に来てもらい、刀の降り方とか、
刀同士がぶつかった時の動きとか、結構に細かい指導を受けたのです。
まあ、一種の踊りみたいなものですから、
ふりがあって、その通りに動かないと、怪我をするかもしれない。
ですから、何度も何度も所作をくりかえし、動きを覚えて、少しづつ動きを速め、
最終形にたどり着こうとするわけです。
で、この最後の形をそれなりの速度でやると、
実に気分爽快なんですね。
切った方も、不思議と切られて倒れる方も、結構楽しんでやっているんです。
そして稽古を重ねると、すっかりその気になってしまうんです。

 

私は、子どもの頃のチャンバラごっこを思い出しました。
道具は、おもちゃの刀か、そのへんの棒切れ。
これと言った筋はありません。
何て理由もなく、何の悪意もなく、人を殺すわけですね。
このチャンバラごっこには、一つのルールがありました。
それは切られたものは、倒れたところで10の数を数えます。
で、…8、9、10となると、息を吹き返し、再度チャンバラの争いに参加できるんです。
もっとも切られるという根拠も希薄で、切られたと思ったら自主的に、うめき声を出して、地べたに倒れる。
で、これが快感でやたら切られたがる奴もいるくらいなんですね。
何とも他愛のない話です。

 

ライオンの家族のドキュメンタリーなどで、子どもライオンが子供同士じゃれ合うシーンを見ることがあります。
まあ、本能なんでしょうね。
DNAとしての闘争本能とでもいうようなものがあると思うんです。
ですから人間の子どものチャンバラごっこも、
傍で見てればかわいいものですが、
その根底には、闘争本能が存在するのかもしれません。

 

ま、この闘争本能はいくつになっても抜けないんですね。

最近の日韓のトラブルも、なんか、ニュースとして色あせてきた感じがしますが、
今度は東京五輪に向けてあれこれ口を出してきました。
何やらボイコットする、と言うんですね。
これは勝手な話なので、ボイコットするなら、そうすればいいことでしょ。
かつて、モスクワでのオリンピックの時、西側諸国の一部が、参加をボイコットしました。
で、これに日本も歩調を合わせて、不参加。
何がかわいそうだったかと言えば、4年に一度のチャンスとして準備してきたアスリートたちの落胆です。
人生変わってしまったろうと思うのです。

まあ、韓国のアスリートにそんな思いをさせるのはかわいそうですね。
冷静さを取り戻してもらいたいものです。


そのほかに、放射能が危険レベルなんで、よその国に行かない方がいいとか。
挙句の果てにデータ改ざんした放射能測定図なんかを発表したりと、
なんか常識のレベルの問題でしょ。

 

さらには、と言うか、例によってというか、旭日旗の問題です。
これに対するアレルギー反応は、ありうる話だと思うんですね。

気分良くないからやめてくれ、と。
だったら、日本人も、これにこだわらず、会場への持込は自制すべきでしょ。
だって、それがないと応援できない、ということはないのですから。
単なる自己顕示として旭日旗が必要だというのは、正に子供の喧嘩です。

 

この旭日旗論争を見ていると、どうしてもチャンバラごっこを思い出すんですね。
切られても10数えれば息を吹き返す、と言う無邪気なルールがあればいいのですが。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
リトアニアがやってくる

ここに来て、一気にリトアニアに染まりました。
そもそもが、オリンピック・パラリンピック東京大会で、
リトアニア共和国が、平塚を事前キャンプ地として選択をしたのです。
ですから、その前段階あたりから、それなりの情報が入っていたんですが、
こう言うのって、じわじわとくるものでしょ。
事の始まりは、県の方にリトアニアから事前キャンプに適当な町があったら

紹介してほしいという依頼があったそうです。

で、検討した結果、総合公園にある陸上競技場、プール、バスケットコート、またトレーニングセンター、

市内に競輪場、また海もありヨットなどのトレーニングもできる、と言うことで、

かなりレベルの高いスポーツ施設を、このまちは持っているんですね。

いや改めて再認識しました。

 

で、初期のころはキャンプ地として決定し、その協定を結んだ、と言うのは、
知らされていても、まあ、そのうちそのうち、みたいなところがあったのです。
で、オリンピック・パラリンピック関係の会合なんかも、スケジュールが合わなかったこともあるんですが、
あまり熱心に出席していなかったんです。
ところがここに来て、10月一か月をかけてリトアニアフェアを展開するというんです。
これに、リトアニア料理を提供できるお店はないだろうか、と。
市の担当課から打診。
ではそろそろ腰を上げるか、と言うのが先月あたりの話し。
で、色々詰めてゆくとどうも、ややこしい話を抜きにして、
単純にリトアニアビールと、それに関わる料理を出してみようということになったのです。
こういうのって、リトアニア料理として、その本来を追求すると、話がややこしくなる。
だから、大体でよい、と。
時に、なんちゃってリトアニア料理だっていいじゃないか、ということになり、
かなりのお店が協力してくれることになったのですね。
もちろん、本気になってリトアニア料理を手掛け、なかなかに仕上げたお店の数多くあります。
もっとも本格的なのが、フランス料理のお店、マリルィーズさんでしょうね。
かなり前から市の要請もあったこれを手掛け、そこそこのレベルまでレベルを引き上げてきました。
リトアニアの大使に食べてもらったところ、これは本国で食べるよりおいしい、と。
もっとも100点満点ではなかったようで、99点。

マイナスの1点は、量が少し物足りない、と。
ともかく彼らはよく食べる、と言ってました。

 

リトアニア料理を手掛けようというので、それなりに調べてみたのですが、
このご時世にもかかわらず、リトアニア料理を提供する所は、一軒もないんです。
東京はもちろん、日本中です。
そこで作ったものが本当にこれでいいのかどうか、って不安でしょ。
そこで、先日、リトアニア大使館の大使夫人と農業担当官の方がお見えになり、
私たちの作ったものが、いいのかどうか、おいしいのかどうかについて試食をしてもらいました。
まずは、ライムギを使った黒パン。
ちょっとまだ慣れないのですが、よくよくかみしめればそれなりの風味があります。
これは明日10月1日から、市役所のロビーの売店「ありがとう」で販売するそうです。
試作品を食べた大使夫人はOKと言う事でした。
ためにしどうぞ。
そのほかは、旬菜屋NOBUのツェペリナイとか、マリルィーズのピンクのスープ、キビナイなどが出されました。
私は、ツェペリナイの生地を作ってみたのですが、これって北海道で食べた芋餅じゃないか、と思い、
思い切って、醤油をつけて焼いてみたのです。
これはこれで、大使夫人からは、なかなかよろしいとのこと。
そのほか中華の百番さんからは、国旗の三色に見立てて、リトアニアラーメンなるものも登場。

 

まあ、こういうのって厳しくするのも手ですが、なんとなくでも結構意味は維持できるんですね。
大事なのは、広く知らしめることです、
先日、リトアニアビールを飲んでみました。
以前はやった普通のビールと黒ビールの半々に混ぜたハーフ&ハーフみたいな味ですが、
これが結構爽やかなんですね。
ただ、330个韮沓娃葦澆呂舛腓辰塙發いな、と。

 

ともかく、これらの情報を目いっぱい詰め込んだ、
「リトアニアがやってくる」と言うビデオを、私の担当で作りました。
30分ものです。
SCNの2チャンネルで、10月いっぱい、市民クラブTVで、朝9時30分、夕方5時30分に放映です。
ぜひぜひ見てください。

そして機会があったら、ビール王国を自負するリトアニアのビールを飲んでみてください。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 16:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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