水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
とんだとばっちり

日本が地震大国である、と言うのは言うまでもないですよね。
何しろこの狭い国土に、なんと4つのプレート境があるんです。


そもそも地震は、プレートテクトニクス、と言われる地殻の活動があり、
これは、プレートの下部のマントルという層が、地球の中心の熱により
対流を起こしていて、この影響を受けてプレートは移動するんですね。
で、動きの大きいプレートと動きの少ないプレートは、その境目で衝突をするんです。
すると、プレートとプレートの境で、ストレスがたまり、
ひずみのたまったところが、限界点を超えると、地殻の破壊が発生し、
これが地震となるわけです。


で、日本の地下では、ユーラシアプレートと北米プレート、
北米プレートと太平洋プレート、太平洋プレートとフィリピン海プレート
フィリピン海プレートとユーラシアプレート北米プレートとフィリピン海プレートが
それぞれ接しているんです。
もう、ごちゃまぜでしょ。
例えばです。
平塚はどのプレートの上に載っているかというと北米プレートの上に載っています。
で、相模湾沖合の伊豆大島ですが、これは平塚から直線距離で50キロほど。
この大島はフィリピン海プレートの乗っています。
つまり、あの大島と平塚は、地図的には目と鼻の先ですが、
それぞれ違うプレートの上に載っているんですね。
で、平塚では、最上層が北米プレートですが、その下に潜り込んでいるフィリピン海プレートがあるわけですね。
つまり、2層のプレートの上にあるんです。
ですから、まあ、安全安心の地殻ということにはなりません。
地殻の戦争があるとしたら、その最前線の真上という事ですから。

 

地球上で発生するマグニチュード6以上の地震のうち、日本で発生するのはその20%と言われています。
日本の国土の面積は、全地球上の陸地面積でのおよそ0.5%ということでから、
年間、マグニチュード6以上の地震が200回発生したとすると、面積平均で行けば、
日本では1回発生すると、平均的ということになるでしょ。
でも現実はなんと20%ですから、平均と比較すると40回発生しているわけです。
つまり、平均の40倍の確率で地震が発生している、ということになります。
正に名実ともに地震大国でしょ。

 

ですから、その地震大国の代表的都市と言えば東京なわけで、この東京が
政治、経済、文化以外においても日本を代表するとなると、

まさに地震でも代表できる可能性を持っているのです。
それが首都直下型地震ということです。


実はわたくし、恥ずかしながら、首都直下型地震についてときどき触れられることがあるのですが、
一体が何が論拠になって、首都直下型地震を恐れているのか、
と思っていたのですが、ここでさらにそのメカニズムが明確にされたのです。

ま、簡単に言えば、東京が載っている地殻は、北米プレート。
その下には、フィリピン海プレートがもぐりこみ、さらにその下に太平洋プレートがもぐりこんでいる、
といういわば、地殻のミルフィーユ状態になっているんです。

で、地震の起きる確率というか、可能性というのは、
この地殻同士のぶつかり合いで、地殻が破壊されるわけですが、
まあ、その破壊のされ方にもさまざまで、ちょっと壊れたり、大きく壊れたりとあって、
相対的には、ある期間にどのような地震が起き、

それによってどのぐらいのエネルギーが放出されたのか、
ということで、地震のインタバルを推測するわけです。

 

一番大きい地震が500〜600年に1回、東日本大震災はこれに当たります。
小さい地震は30年に1回ぐらい。
その中間の大きさの地震が100年に1回といった具合です。


で、最近になってこんなことが分かってきたようです。
南海トラフ地震について、ほぼ100年に1回、と言われてきたのですが、
どうも間違いかもしれない。
前に発生した時の状況が正確に把握できていないので、
つまり、100年、200年前のデータですから、よく分からない。
例えば、今だに、あの関東大震災の詳細は分かっていないのです。
ということは、前の地震で、すっかりストレスは発散してしまったのか、
まだ残っているのか、ということがよく分からない。
したがって、100年インタバルどおりなのか、もう少し長いのか、が分からないんですね。

南海トラフ地震は、日向沖から、四国沖、

さらにその東のエリアという風に、6区画に分けて考えられていますが、
この各区画の中で、一番東の駿河湾トラフが、空白期が最も長いのですね。
この理由なんですが、一説によると、そもそもフィリピン海プレートの上に乗っていた大きな島が、
移動して北上し、静岡の海岸にぶつかって、半島になったわけです。
ですから、伊豆半島の下はフィリピン海プレートなんですが、
この伊豆半島がでかいのと、プレート自身にしっかりと乗っているため、
他のエリアは、一定の間隔で滑り込んでいるのに、この区域は、あまり滑りこめないんですね。
つまり、ストレスがたまりにくい。
ですから、海から、フィリピン海プレートが攻めたてても、
この駿河湾エリアは、堅固に反抗している、ということになります。
したがって、インタバル理論は、状況によってことなる、という事なんですね。

 

で、問題は、東京の地下なんです。
首都圏の地下は世にも不思議なプレートの「三重構造」。
これは、簡単に言えば、トラブルをJ引き起こす要因を抱え込んでいるということです。
勢力の大きなやくざの仲間が、三つ巴になっている、と考えてください。
いつどんな形で、縄張り争いが始まって、出入りがあるか分からない、ということです。

ま、今さら言っても仕方ないのですが、
なぜこんな物騒な地盤の上に、江戸なんて構えて、
それをもとに日本の首都にし、その周辺に人口を集めてきたんでしょうね。
最危険地域に、最多人口が暮らしているという事なんです。

南海トラフも◎の注意地域ですが、東京も実はこれに勝るとも劣らない。


そして、この本命対抗の間にあるのが、平塚なんです。
どうやってもとばっちりを免れないですよね。

ともかくいざという時のために準備するしかないのです。

| 水嶋かずあき | 環境 | 14:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
一事が万事

たった一つのあることで、そのほかのことも分かる、ということでしょうか。
人は多くの側面を持ち合わせていますが、ちょっとした言葉、ちょっとした行為で、
その他の部分も垣間見えてくるわけです。
ま、気を付けなくてはいけないことは、
一部を持って全部を類推するので、時に、不正確な判断をしてしまうことがあります。
ま、一種の誤解ですね。
こういうことが起きることもあるので、一事が万事と言っても、
十分な配慮が必要です。

 

さて、とはいえ、なんとなくこれに当てはまるか、と言いう事なんですが、
こんな記事が掲載されていました。

「天ぷらの衣」をはがして食べる女性客に、店主がカチンと来て、
そういう食べ方をしないで欲しいと注意をし、
これを受けた客たちは、不快感を示したものの、

店としては、結局料金はいらないから、退店してもらうことになった、
という、まあ、客と店の喧嘩みたいな出来事です。
もちろん、細かい言葉簿い使い方とか、店の言い分、客の反応など、
詳細は分からないのですが、大雑把に判断しても、
これはやはり客の問題だと思うんですね。

記事の内容を再現します。
  
このいきさつを書いたものが投稿されたのです。

投稿者は、その天ぷら屋で合コンをしていたらしく、
相手の女性たちは、天ぷらの衣を取り除いて食べたのだそうです。
で、その様子を見ていた店主が、
「あなた方の行為は我々に対する侮辱です」
「当店が自信と誇りを持って提供する天ぷらをこのようにして食すことを我々は望んでいません」
「特に衣の食感は我々が力を入れているところであり、それを取り除かれることは大変遺憾であります」
といった類のことを言ったらしい。

確かに、店主の言うとおり、天ぷらという料理は、正に、衣、命なんですね。
カリッとしかもあっさりと仕上げる。
ものによっては、あえて衣をまとわせる。
天ぷらの技は、粉の選び方、解き水の作り方、その温度、混ぜ方などすべてのプロセスに求められます。

そして、油の調合、油の温度、上げている最中に温度が上下しますが、このコントロール。
どこかずれても、ベストにあげることは難しい。
天ぷら屋さんとしては、天ぷらを揚げることで料金を頂戴するのですから、
ここは最大の神経を使うのです。
まあ、大したことじゃないと思われても結構ですが、
腕のいい職人が挙げた天ぷらは、胃もたれしないもんです。
ネタにまとわせた衣の量も、最小で最大のうまみを出すからです。

何より、同じ量の天ぷらを揚げても、油の減りようが少ないんです。
そんな神経を使い、技を駆使した衣をはがされたら、ちょっと待て!となるでしょうね。
 
女性たちは不服そうで、投稿者の友だちは合コンを台無しにされたことについて怒ったそうです。

ま、こんな食べ方をする女性とは、付き合わぬ方がいいですね。
却って、客観的な判断をする機会が得られたんじゃないですか。
だって、そもそもそのお店は天ぷら屋なんでしょ。
寿司屋に入って突然天ぷらが出てきたわけじゃない。

天ぷら屋としては、衣とは「キモ」の部分です。

 

実際、一度私も同様の経験をしたことがあったのですが、
十数名で、食事をしていた時の事です。
隣に座った女性が、天ぷらの衣をはがして食べ始めたのです。
ま、きっとカロリーを気にしてそうしたんだと思うんですが、
この人は一人で食事をしているなら、これは仕方ないですが、みんなの前でです。
私は、どうしてはがすのか、と聞きましたら、案の定カロリーを気にしている、と。
で、そこで言い合うこともないので、そうですかで終わったんですが、これは二つの対処法があります。

 

一つは、手を付けずにどなたか天ぷらのお好きな方は居ませんか、と言って、

仲間内に回して、誰かに食べてもらう。
中の海老だけ食べてしまい、残った衣だけ食べてくれる人はいませんし、第一失礼でしょ。
ですから、お皿そのものを差し上げる、ということです。
第二に、普通に食べます。
その時に余分に摂取したであろうと思うカロリーは、
その日のその後の食べ物でコントロールすればいいのです。
まあ、ちょっと控えるというか、その日、または翌日に控えめに食べれば、
一回食べた天ぷらで、急に太るわけがない。
太るというのは、ちょっとずつ余分に食べるからです。
ですから、トータルでコントロールすればいいんですね。

ま、それと、天ぷらの衣ごと食べたからと言って、その油が体脂肪に直につながる訳じゃないのです。
油分が体内に入ると、体の脂肪になってしまう、という勘違いをしている人が多いのですが、
これは間違いなんですね。

 

体に中に蓄積され、いざという時のエネルギー源としてのストックが脂肪ですが、
だからといって、摂取した油がそのまま脂肪になるわけじゃありません。
体内の脂肪の大もとは炭水化物です。
炭水化物と言ってもいろいろありますが、
すべての炭水化物は、消化の過程でブドウ糖に分解され、血液中に流れます。
ブドウ糖が血液中に増えたことを察知すると、膵臓からインスリンというホルモンが出て、
余ったブドウ糖をグリコーゲンに変え肝臓や筋肉の細胞に取り込みます。
ただ、グリコーゲンとして細胞内に取り込める量には限界があり、
余ったブドウ糖が中性脂肪に形を変えて脂肪細胞に取り込まれるために、肥満が起きます。

 

油は、炭水化物ではありません。
ですから、カロリーとしては高いのですが、そのまま体内で脂肪になるわけじゃないんですね。
このメカニズムを知らずして、天ぷらの衣をはがすのは、
正直言って無知のなせることです。

 

ある法律家が、この出来事をネット上で法的に解説していたのですが、
食べ方のルールを書いた張り紙が必要だった、というのです。
???でしょ。
天ぷら屋に限らず、最近は『とんかつの衣はがし』、『焼き鳥の串外し』、『寿司のシャリ残し』などあるそうです。
で、正しい食べ方を知らないからと言って、その食べ方を貼り紙に書くって、ちょっとおかしいんじゃないか。
なんか文化そのものの否定みたいでしょ。
日本には、日本で培われた食文化というものがあって、
おかげさまで、私達は、成長し、生活できているわけです。
時代とともにそういうことに偏りが出てくるということはありうることですが、

だからと言って、天ぷらの正しい食べ方、なんて貼り紙をするのは、情緒もくそもない。
法律家の欠点はここですね。

 

純粋に法的に、どういうことかと言うと、
「客がどんな店に入るのかを自由に選べるのと同じように、
店も、客を選ぶことができる。
そして、食べ方についてのルールを守れる客だけを入店させることも自由。
しかし、その場合、あらかじめ『店主の指示した食べ方を守っていただかないお客様は退店していただきます』
といった張り紙でもしてあって、客がそれを見て入店した場合、
店と客さんとの間には、そのルールに従って食事をするという合意があったといえる。」
というんです、この法律家は。
ま、確かに法的にと言えばそれまでですが、
世間の常識というものが法律の前に存在するわけで、
怒って帰った客の擁護をすることもない、と思うんですね。
衣をはがした女も、その女の肩を持って店に抗議した男も、
どっちも常識という点では、何か欠落している。
どうして食べ物をそんなに粗末に扱うのか、ということです。
そして、そんなしつけをされてしまったのか、と。
いわゆる、親の顔が見たい、という事でしょ。

 

合コンが台無しになって、すごすごと退店する客に、
私なら、良かったね、馬鹿な女をつきあわずに済んで、
また、常識を持って場を仕切れなかった男もだらしがないね、

と、声をかけたと思います。

| 水嶋かずあき | グルメ | 09:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
猫がナンバーワン

犬と猫の飼育頭数が、ここ二年間ぐらいで逆転したようです。
例えば、平成26年の統計では、犬の方が猫より多く飼われていました。
で、平成30年の統計では、犬が減少し猫が増加して、逆転したのです。
その数、犬:890万3千頭 、猫964万9千頭。

猫に関しては、家猫の数です。

野ネコは含まれていません。


内訳をみてゆきますと、犬を飼っている世帯数は、715万9千世帯。
猫を飼っている世帯数は、553万9千世帯。
世帯としては犬が多いのですが、猫の場合複数飼育をするようで、

平均飼育頭数は、犬1.24頭に対して、猫1.74頭ということになっています。
つまり、猫好きな人は、複数頭飼うという傾向があるようです。
よく、犬がいいか、猫がいいか、という論争をする人がいますが、
あれはやめた方がいい。

だって、単純好みなんですから。

 

ま、逆に、それほど犬と猫は好対照の要素を持っていると言いう事ですね。
犬好きでも、猫ほどの数を飼う人はあまりいないわけですが、
犬に関しては、世話が大変である、ということを挙る人が多いですね。
先ず、散歩ですね。
うちのマンションに、年がら年中散歩に連れて行っている人がいて、
余りに頻繁なもんで、よく散歩に出られますね、と話しかけたら、
一日4回行くのだそうです。
4回もですか、と驚いていたら、このわんちゃん、家では一切、大小の便をしないんだそうで、
そのために、トイレタイムとして散歩をするんだそうです。
ま、可愛くてしょうがないんだと思いますが、ちょっと手間がかかり過ぎですね。
ですから、2頭目を飼おうとは思わないようです。

 

猫派の主な言い分は、孤高の良さを挙げます。
まあ簡単言えば、人間との距離を保っている、ということでしょうか。
犬は逆ですね。
密接な関係を持とうとするわけで、人によってはその情の深さがいい、という人もいれば、
その密接度で疲れてしまう、という人もいます。
猫の孤高ぶりは、逆によそよそしいとか、呼んでも来ない、とか、

ある種の冷たさに物足りなく感じているようです。
まあ、それぞれペットとして求めるものが、異なるんですから、
どっちがいい、なんて論争は実に馬鹿げたものなんです。

 

私は、どちらも飼いました。
今は、めだか1匹がせいぜいですが、その昔は、犬も猫も飼いました。
正直な感想は、正にどっちもどっち。
犬の面倒くささと、猫の薄情さのそれぞれが、自分には向いていない、と感じました。
ですから、今はめだかです。

 

私が、かつて身に着けた猫の知識は、猫が日本の渡来したのは、平安の頃、と聞きました。
瞬間的に、紫式部を思い浮かべたので、その頃なんだろうな、と。
そのきっかけはこういうことだ、と聞きました。
当時、中国と多少の貿易をするために、船が行き来していたわけですが、
中国からやってきた船の上に猫がいて、その猫を見た当時の人が、
余りに可愛いので、譲ってほしいと頼み込んだんだとか。
ここが日本に猫が上陸した最初、と聞いたのです。
そもそも、猫はアジアにはいなくて、西から渡来してきたものだそうです。
中国で、十二支が定められたわけですが、そこには猫は居ません。
ですから歴史的には、かなり遅くなって登場したのではないか、と言われています。
十二支に猫が入っていないことを、寓話風に伝える話がありますが、
もともと十二支が定められた時代には、まだ猫は飼われていなかったわけです。

 

古い中国の伝統的な新年の迎え方は、年明けとともに、その年の占いをします。
基本的には、身近な動物から占うのですが、大事な家畜たちがまず占われます。
ですから、うま、牛、ヒツジ、豚、鳥など、さらに犬などの家畜、

そして、新年になって七日目に人間の占いをします。
これは五節句の一つ、人日と言われる日です。
一月七日に相当します。

この日は七草を食べて、その年の無病息災を祈ります。
この大事な、家族のような動物たちの運勢を占い中に、猫は居ません。
つまり、そのころは、やはりいなかったということでしょうね。
で、したがって、日本に登場するのも、遅かったわけです。

 

ところが、どうもそうではないらしい、なんて証拠がぞろぞろと出てきたのです。
そもそも、メソポタミアから古代エジプトに伝わった猫は、そこで家畜化が進み、

現在の猫の姿になったと言われています。
そののち、地中海を渡ってヨーロッパにも広がり、

さらにその後、大陸を東に向かい、中国に伝わります。
で、中国から日本へ持ち込まれたと言うわけです。
ですから、最近まで、中国から日本に渡ってきた年代は、

奈良時代から平安時代の初期頃とされてきました。
私が聞いたのはこのころだった、ということです。
しかし、10年ほど前に行われた遺跡の発掘によって、

猫伝来の時期はさらにもっと昔だったらしいということになりました。

 

2007年に兵庫県姫路市の見野古墳から、猫の足跡のついた須恵器が見つかったのです。

ちなみに「須恵器」とは、古墳時代中期から平安時代にかけて作られた土器のことです。

で、この足跡はどう見ても猫だ、ということになり、

この須恵器が作られた時には、猫が日本にいたという事になるわけですね。
時代的には、今からおよそ1400年前の、

飛鳥時代には、猫が確実に日本に存在していたという証拠となったのです。
紫式部のイメージは完全に崩壊しました。
とは言え、1400年前なんですから、
長い歴史で考えたら、東洋人にとっての猫は新参者にすぎないでしょ。

 

その出遅れた猫が、今やペットナンバーワンの地位を得たのです。
だからなんだ、ということですが。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不倫も男女平等

ブルネイの刑法が強化されたというニュースを読みました。
多分、もともと、イスラム系の国ではありがちだった刑法ですが、
時代とともに曇ってきた対応を、ここで一気に磨きをかけた、という感じでしょうか。


で、ブルネイってどこだ、と思う方もおいででしょ。
私もそうでした。
まあ、申し訳ないですけど、気にもかけていなかったということでしょうか。
で、調べてみたら、こういう国です。
まずは東南アジアの地域で、ボルネオ島の北部に位置します。
インドネシアに囲まれていて、海を隔てて北西に700キロほど進むと、ベトナムのホーチミンに着きます。
もともとはイギリス領でした。
で、独立して、ブルネイ・ダルサラーム国を名乗ります。
ここは、君主国家で、王様がいます。

かなり強力な権限を持っているようで、首相も兼任とか。
きっとこの王様、超敬虔なイスラム教徒なんでしょうが、ここにきて、冒頭のように刑法を強化したんですね。
不倫は石投げの刑だそうです。
窃盗は、両手を切り落されるそうです。
これは強烈ですね。
日本でこんな解放を実施したら、毎日何百、いや何千、何万人と石投げの刑にあいそうです。
町中に手首から先の無い人がウロウロしそうですね。
いや、そうなると、不倫はしたくてもしない、ということになるのでしょうね。
石投げの刑を覚悟してまで、一線を越えようとは思わないでしょ。
と、正に目には目をの世界です。

 

江戸の頃、公事方御定書という法律書では、不義密通に関する刑罰が記載されています。
それによりますと、両者死罪の重罪とされているばかりか、

協力者もまた追放か死罪だったようです。

飲酒運転者の助手席に座っているようなものです。
結構厳しいでしょ。
でも人のサガは、それでも抑えきれないんですね。
で、ついつい魔がさしてしまう。
いや、なぜか女性の方を処罰対象にしているんですが、
その夫が現場を押さえた場合、姦男と妻を殺害しても罪には問われることがなかったんですね。
なんかのセリフに、二人重ねて一刀両断、というのがありましたが、
夫の権限として、そこまでのものを与えていたということです。
正に男尊女卑の思想です。
さて、見つかってしまった場合、男は殺されても仕方がない、

まして、公訴されれば死罪は確定ですから、どっちにしても命がない。
そこで、そこをなんとか、と命乞いをするわけです。
で、和解をするためにいくばくかの金を巻き上げられるんですが、
その相場が、なぜか、七両二分と決まっていたようです。
これは、その頃の文献にも書かれていますし、
落語などで語り継がれていて、間男は七両二分、という言葉が登場します。
この金額は、今の金額に換算すると、およそ150万円から200万円相当だそうです。
ま、高いのか安いのかはともかく、
話しが壊れて公訴になると死罪ですから、命乞いのお金としてはまあだとうかな、と。
でもそれが不義密通の対価としては、割に合わないでしょ。
でも、我慢できない連中と言いうのはいるんですね。


で、この姦通罪というのは、明治になっての刑法にも反映されました。
その内容は、夫のある妻と、その姦通の相手方である男性の双方に成立するものとし、
夫を告訴権者とする親告罪とされたのです。
ただし、夫が告訴するには、姦婦との婚姻を解消し、または離婚の訴を提起した後、という制約がありました。
まあ、その後も水に流して一緒に暮らしている場合は、姦通罪は成立しないのです。
そして、この姦通罪は、内縁の夫のある女が他の男とやっちまっても姦通罪は成立しないのです。
つまり正式な夫婦にのみ適応されるということですね。
さて、ここが問題なんです。
それは、正妻のある男が他の婦女と私通しても姦通罪は成立しない。
と、あるんです。
つまり姦通罪は、原則、女性に適応され、男性には適応されないんですね。
この男尊女卑的な思想は、江戸の頃から受け継がれてきました。


で、終戦後の刑法改正では、あれこれもめたそうです。
つまり男女平等社会を目指そうという事ですから、
男だけ優位に置くのはおかしい、と。
じゃあ、女にも、男を処罰できる権限を与え、
男女平等にしようか、と議論されたのですが、
なぜか、男女平等ということにするなら、
男に許された不倫を女にも許そう、という考えになったんですね。
まあこれは一歩前進なんでしょうか。

 

新しい刑法の解釈では、夫婦間の信頼がどうこう、という問題をのぞけば、
いままで男には許されてきた不義密通を女にも許そうというわけですから、
かなり、お好きのどうぞ、の世界に切り替わったんですね。
まあ、法的にはの話です。
道義的には、むしろ厳しくなっていますが。

 

江戸の頃の死罪、ブルネイでの石打の刑。
ま、命がけでも不義密通は行われてしまうんですね。
なんというか、男のサガなんでしょうか。

江戸の頃の言葉で、
一盗、二婢、三妓、四妾、五妻、ということを言われてきました。
ま、解説するまでもないんですが、
解説好きなので、解説します。
一盗は、人妻を相手にするということです。
二婢は、家で使っている下女と出来てしまう、ということです。
三妓は、いわば商売女、芸妓など色を売り物にしている女性と事をなすことです。
で、四妾は、言葉通り妾としてかこっている女性との関係です。
最後が奥さまです。
この順番は、男がもっとも興奮する相手という事なんです。
確かに、この中で死罪に相当するのは、一の「盗」ですから、
そりゃ、命を懸けるだけの精神的高揚はあるんでしょうね。
今は、お好きにどうぞの世界ですから、その意味では
命を懸けているわけではない。
つまり、精神的高揚はかなりレベルダウンしているはずです。

さて、そんなことで高揚を求めるなら、ブルネイに行って不倫相手を探せばいい。
ブルネイの刑法では、外国からやってきた人間も同等の処罰をする、と書いてありますから。
正にブルネイでは命がけですよ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
プラゴミのゆくへ

その昔、バカとはさみは使いよう、ということがよく言われていました。
今はあまり使わないですね。
使い方ではパワハラになりそう。
ことわざも、場を見ての使いよう、とかいうことですか。


さて、言いうまでもなく、切れない「はさみ」とか、「バカ」とか、
使えないものでも、使いようで役に立つということですが、
厄介者扱いされてきた廃プラスティックも、使いようで役に立ちそうなんですね。

 

そもそも、日本は廃プラスチックのリサイクル率84%の優等生なんですが、
それでも、まだまだ十分とは言えないようです。
そこで登場したのが、道路の舗装材に使おう、というアイディアなんです。
あのプラスティックをこまごまと破砕して、アスファルトに混ぜるんだそうです。
もともとこのやり方は、日本でも試行錯誤が繰り返されてきたようですが、
いよいよ本格的な実践に移る時が来たようです。

 

まずは廃プラスティックの現状です。
その量ですが、2015年の全世界のプラスチックごみの発生量は3億200万トン。
と言ってもよく分からないでしょ。
ざっとした計算ですが、人間1人当たり年間で50キログラムのプラゴミを出していると言うことです。
もともと軽いものでしょ。
それでも50キロですって。

特に日本はアメリカに次ぐプラスティック消費国。
実際には、世界平均をはるかに上回るんでしょうね。
で、近頃、このプラスティックゴミが埋め立て処分場から川を経て、海に流れ込み、
やがて細かく割れて、5ミリ以下のマイクロプラスティックとなって海水の中に溶け込んで、

これを魚など海洋性の生物がとりこみ、
様々な問題を引き起こしています。

 

で、浜に打ち上げられたクジラの胃からプラスティック製品が出てきたとか、
ストローが突き刺さったウミガメの写真がネットで公開されたとかで、
特にプラスティック悪者論が拡大し、何とかしよう、という世界的な運動になりつつあります。

 

で、どうしたかというと、プラスティック製のストローを使うまい、

と言う運動が一部企業で取りざたされました。
スターバックスは、全世界全店舗で2020年までにストローをプラスチック製から紙製に切り替えると発表。
追っかけ、すかいらーくも2020年までの切り替えを発表。
アメリカン航空は機内で竹製のストローに切り替えると発表。
そのほか、ヒルトンホテルや、ディズニーランドなどでも、プラスチック製ストローを使用しないと宣言。
まあ、ちょっとした流行りでしょ。

 

そういえば、今から10年ほど前に、

平塚の飲食業の組合で、地産地消として、地場産の小麦を使った麺を開発しようという動きがあり、
ニシノカオリという小麦を栽培することになったのです。
で、刈取りの時に、そもそもストローとは麦の穂を使ったものだから、

この刈り取った麦の穂をただ捨てるのはもったいない、と。
なんとか、活用しようと、ストローとして使うことを考えたのですが、
保健所でのチェックが厳しく、実際、単なるアイディアに終わったんですね。
ま、アイディアも状況が悪ければ、水子に終わってしまうということです。
さて、突然飲食サービスの大企業が、ストロー転換とか言い始め、
プラスティック汚染防止に一役買いましょうとかの姿勢を見せたのですが、
一体、たかだかストローを紙製に取り換えるだけのことで、どんな状況の改善が行われるというんでしょうか。
私は、それはそれでいいことだと思いますが、これらの企業が使っているその他のプラスティックについても
削減の計画を発表すべきではないかと考えます。
でないと、単なる受け狙いのスタンドプレーとなってしまうでしょ。

 

さて、このプラスティック問題は、すでに10年以上前から、環境学者などから警告が出されていました。
でも、企業側としては、便利なプラスティックを他のものに切り替える気はなかったんですね。
で、ここにきて、とやかく世間で言われるようになったんで、

やっと、とりあえず何かした風な形をとろうとしているわけです。

まあ問題の解決って、こうして、微妙な前進を積み重ねるしかないんですね。

 

さて、道路の舗装に話を戻しましょう。
一つの観点は、道路舗装に素材として優秀な性質があるらしい、ということです。
もう一つは、廃プラスティックの処分として、有効な方法らしいと言うことです。
世界中で排出されるプラゴミですが、プラスチックのリサイクル率は全世界平均14%で、
まだまだ、問題は取り残されたままです。
そこで、この道路舗装の骨材としての活用が注目を集めるわけです。
プラスチック混合アスファルトは従来のアスファルトより軽いのですが、耐久性が増して6倍長持ちするという。

これはすごいでしょ。

5年や10年インタバルぐらいで舗装の改修をしていますが、これが6倍に伸びる。

まずはそれだけでもコストダウンでしょ。

国や自治体によっては、道路舗装の際、プラスチックごみから再生した滑材を混ぜなければいけない、

という法的規制をかけているところもあるようです。

 

そもそも日本の国の道路は世界でも有数のアスファルト依存国なんですね。
ですから、この技術を活用すれば、今まではリサイクルしているとは言いつつも、

実際は燃料的に燃して、処分しているサーマルリサイクルですから、
環境的にも望ましい方法ではありません。
道路の舗装材として使えるなら、これがベストでしょ。
おおむねですが、アスファルトに、1割程度の骨材を混ぜるのだそうです。

たかだか1割ですが、
日本中の道路の延長距離を考えれば、結構なものになるはず。
ぜひとも、真剣に骨材開発と、その活用を進めてもらいたいものです。

 

ま、ストローの切り替えもいいんですが、その程度では埒が明かないでしょ。

 

| 水嶋かずあき | 環境 | 16:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
そこまで報道するのか

最近、耳にするニュース、いや、目にするニュースで気になることがありました。
公園の鳩を、毒薬を混ぜたエサで殺したとかで、逮捕されたある大学准教授のことです。
まあ、ニュースで伝えられて範囲では、どちらかというと変人のようで、
常識的判断ができない人が、しばしば引き起こす社会的な問題の一つです。
例えば、ゴミ屋敷の住人など、要はこの類で、社会性の欠如は、健全な人間とは言い難い側面もあるようです。
したがって、隣人とのトラブルが発生したりとか、最後の最後は警察が登場し、
なんとかかんとか法に違反で事情聴取が行われたとか、テレビで報道されることがあります。
ま、今回の鳩騒動もその一種と言えば一種なんでしょうが、
ここでも法的解釈が、どうも微妙なような気がするんです。

 

適応の法律は「動物の愛護及び管理に関する法律」、
いわゆる動物愛護法です。
で、これによると、
「すべての人が動物は命あるものとして認識して虐待などを無くし、
人間と動物が共存できる社会をつくる」という法律です。
すべての人であって、すべての動物ではありません。
ここがややこしいところなんですね。
すべてといいながら、規定としてはすべてではないんですね。
規定としては、牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
とあります。
規定されているとはいえ、牛や豚は最後に殺して食っちまうでしょ。

これって愛護なんでしょうか。

そもそもが牛や豚をペットで飼っている人はほぼいないでしょ。

さらには、ここから外れた動物たちはどのように扱えばいいのか、でしょ。

 

准教授の行為は、肯定されるものではありませんが、
法文としては、「いえばと」と書かれているんですね。
公園の鳩はいえばとなのか、と。

誰が飼ってるわけではないだろうと。

今時の言い方で言えば、コミュニティハトですよね。

 

なんとなくですがここに例示された動物たちは、人から餌をもらって飼われている、という感じがするでしょ。
つまり家畜とかペットとかの類です。
ですから、家畜やペット以外では、そこで出てくるのが、野生動物の関する保護法です。
正式には、鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律といいます。
この目的は、鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化を図ることと、
生物の多様性を確保し、自然環境の恵みを得られる生活環境の確保などを目指しています。
主には、野生動物の保護を図る中から、狩猟とによる制限を設けています。

 

さて、公園の鳩は、この中に入るのか、ということになりますね。
まあ、野生とは言い難いんでしょうか。

ですから、一般的には、鳥獣保護管理法よりは、動物愛護法での違反と捉えるでしょ。

 

つまりです、このように解釈がばらつきそうであるということ自体、

日本では動物一般に関する概念がどうも低いようなんです。

 

国際間の法的な整備度の比較では、圧倒的にその法整備が遅れています。
その背景は、国民の意識が低いからなのです。
それと現状の人間と他の動物たちとの関係、

とくに、ペットと野生の間の関係が、とてもあいまいになっていて、
さまざまな法で、実態を押さえきれていないんですね。

 

例えば、ネズミです。
これは昔から、ネズミ取りなる道具がありますし、それで捕獲したネズミは、
大体水死させますでしょ。
私は、子どもの頃、海岸で火をかけて殺したことがあります。
あれって残虐な殺し方だ、と、今なら問題になったかもしれませんね。
ま、ともかく、ネズミは、この制約にはありません。
したがって、いわゆるネコイラズの類で毒殺をしても、愛護法の違反にはなりません。
つまり、動物が人間に危害を加えるというような場合は、その処分がおおむね認められているんですね。

 

ですから、公園の鳩はいえばとではありませんが、

野生動物としての対象になるんだと思います。

ま、解釈がどうであろうと、あのような残虐な殺し方というのは、

それなりの処罰を受けるべきでしょうね。
だって、あの鳩たちがその准教授を攻撃したわけではないですもんね。

 

我がマンションの付近には、

朝になると大量のカラスがやってきて、路上のごみ袋を食いちぎり、
餌をあさっています。
これがベランダの手すりに止まって、糞をしたり、大声で鳴いたり、

住民の中には、カラス恐怖症なっている人もいるのですが、
これは処分するにも、簡単にはいかないんですね。
それは狩猟の方法が認可されないからです。

そうなると、いい迷惑、と言えることでも、人間が作った法律に人間が縛られているわけです。

これは線の引き方にグレイゾーンが多く、実態と動物保護、愛護の精神が一致していないということなんですね。

 

日本の国会でも動物愛護の法律については、しばしば手を加えてきましたが、
昨年成立か、と言われたこの法律の改定案は、見送られてしまいました。
国会としては、どうでもいいじゃん、という扱いなんでしょうね。

 

確かに、まだまだ愛護されるべき存在として、
動物以前に人間そのものの問題も山積しているわけですから、
ここはちょっと後回し、といいうことになったようです。

正に考え方一つなんですが、どこがどうというわけではありませんが、

私たち自身の中に、あいまいな部分があるからこその
法の未整備ということになっているのではないでしょうか。

 

それにしても、昔だったらこんなことでいちいちテレビのニュースでは取り上げないだろう、

ということが、多く報道されるようになってきました。
メディア自身のチェック機能が過敏になりすぎていないでしょうか。
どうでもいいことまでいちいち取り上げるな、という感じがしますけどね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
元号考

一昨日、新元号の公表があり、一日たった昨日、
より一層のさまざまな情報が公開されていました。

思いの外、ネタが簡単に割れましたね。

あのガチガチの秘密主義は何だったんでしょうね。

まさに、余韻冷めやらぬどころか、ますますヒートアップしているという感じですよね。

 

冷静に様々な人々のコメントを見てみると、
当然ですが、容認派と否定派に分かれます。
まあ、どっちでもないというか、関心がないというか、

これといった反応もない中間的な人もいるわけですが、
各メディアの世論調査では、おおむね好意的に受け入れられている、ということでしょうね。

 

私は容認派です。
否定派の人の意見を聞いていると、

まず、元号という制度の意味を理解していないようにに感じます。
ただ、気が付くと世間でそう言っている、といったところで、

今まで唯々諾々としたがってきた、という事なんでしょうか。
ここで、改めて元号の意義みたいなものを考えたところで、国民主権の民主主義国家が、
なんで、象徴にすぎない天皇家の看板を一緒に掲げなくてはいけないんだ、みたいな論調ですね。
基本的にネガティブな視点だと思うんです。

 

この元号の制度は、すでにメディアでもさんざん解説していますが、

大化を祖として、1374年余り続いている日本民族の伝統的な文化なんですね。
そう、文化なんです。
よその国にはありません。
ま、かつて中国にも、東南アジアの国々にも、元号があったそうですが、これは途絶えてしまった。
日本は、地球上最も長い歴史を持った国家形態の整えられた国なわけです。
中国4千年とか言いますが、現国家の中華人民共和国なんて、100年の歴史すらないでしょ。
秦の始皇帝の末裔が国家の中核的存在なわけでもない。
それに比べて、現日本国、天皇家に至っては、

神武天皇から数えて、皇紀二六〇〇年を超えるわけですし、
昭和20年以来、天皇は、象徴として存在することになり、今や国民主権の立派な民主主義国家です。
しかし、その中核であった天皇の存在を受け入れているわけですから、
懐の広い民族性があると思うんですね。
歴史と伝統を肯定する、その上で未来を展望するという民族性です。

 

さて、改めて元号の意味を考察してきたんですが、
昨日も書いたように、元号で言い表さんとする意味、意義は、

国としてのある種の目標なんではないか、と。
会社で言えば社是です。
組織で言えば、綱領のようなものです。
忘れてはいけない基本的姿勢、指針ですね。

 

ですから、ここで新たな目標設定をしたわけですが、
令:品性豊かで潤いのある心をもって、
和:敬意を持ちあってともに生きようとする
そういう日本の国にしたい、という時代目標にすべきでしょ。

 

そこで、そもそもなぜ元号を制定するようになったのか、ということです。
その前に、改元と言いますが、これは、元号を変えることによって、その始まりが元年になるからで、
ま、それまでの流れの初期化と思えばいいでしょうか。
現在は、一世一元の制といって、天皇の現役の間、元号は同一になっています。
明治以降、こういう制度になっているので、私達は、天皇の在位の限り、元号は変わらないと思いがちですが、
実は、大化以来、しばしば在位中に改元が行われていました。

 

例えば、鳥羽天皇の時ですが、5回の改元をしています。
ですから、元号の使われている期間というのは、やたら短いんですね。
過去248の元号の期間をチェックしてみますと、一年ぽっきり、というのが、26回もあります。
全体の1割以上です。

まあ、何でそうなのか分かりませんが、ある要因で改元したようです。

 

元号の期間なんですが、1374年間で、248ですから、平均で5年と半年。
まあ、昭和が最長ですから、この64年間を平均で計算すると、
昭和のあいだに11.6回の改元が行われていた、ということですね。
こうなると、ややこしくて、
例えば、昭和6年には次の元号になっているということです。
昭和以降、5〜6年で、正仁・久安・慶文と続いたとしましょう。
で、私は慶文2年に生まれました、と言われてもいつなのかよく理解できないでしょ。
何しろ5年ちょっとで元号が変わるんですから。


それでも、2ケタの元号期間というのは当時でもあって、その階数31。
この2桁があって、次の2桁まであいだが最長で315年間空きました。
言い換えれば、315年間1ケタだったということですね。
この間に96回の改元が行われ、その平均は3.2年。
ともかく、やたら改元したようで、実際昭和の64年間に当てはめてみると、
なんと20回の改元です。
オリンピックのインタバルより短いんですから、もし今の時代がそうだったら、
こんなに国民の注目を浴びなかったでしょうね。
何だか、また変わったらしいね、ぐらいで終わりでしょ。
もし、今の時代だったら、カレンダーとかその他さまざまな書類も

いちいち元号を追いかけなければいけないんで、
きっと西暦にしてしまうでしょうね。
かえって、元号の存在感が薄れてしまうのかもしれません。
一世一元で正解ですね。

 

じゃ、なぜ当時は頻繁に改元したんでしょうか。
それにはどうもこんな理由があったようです。

その基準なんですが、

 

1.天皇の交代による代始改元
つまり、新任の天皇になったのだから元号を併せて変える、というものです。
しかし、現実には、いわば就任後、2〜3年後に改元という例もあるようです。

 

2.吉事を理由とする祥瑞改元
ま、東京オリンピックが開催されるのでこれに合わせて、改元しよう、というようなことです。
多分、当時国営に近いような大寺院の建立などがあり、

その開眼とともに改元なんてこともあったんじゃないでしょうか。

 

3.凶事に際してその影響を断ち切るための災異改元
これはその頃のコレラなど流行病などで、疫病が蔓延したとか、
気候不順で、凶作が何年も続いたとか、
大地震、豪雨、火山の噴火など、自然災害の被害を蒙ったなど、
まあ、凶事を断ち切りたいなどの祈願を込めた改元などもあったようです。
ま、いずれにしても、この元号の時は、

国家安泰で、国民が幸せに安寧に過ごせますよう、

という願いが込められていたことは間違いありません。

 

今は、人類は、文明的に大きく進歩しました。
つまり、人間の意志によって、時代は作り上げられてゆくわけです。
だからこそ、あるがままを脱却して、望ましい希望に溢れた時代を形成してゆくべきでしょ。

 

その意味で、元号は国家目標なのではないか、と思うんです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:43 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
元号は日本国の目標

いやはや、恐ろしいほどのスピードで、日本中が一挙に令和を取り入れました。
ほぼ一瞬という感じでしょ。
ゴム印業者は、2,30分後には訂正印が出来上がっていましたし、
名入れのTシャツも昼過ぎには出来上がっていました。
子どもたちのお習字でもすでに令和を書き上げましたし、
弁当屋でも、ネギトロを絞って令和と書いたネギトロ弁当が売られていました。
これはランチタイムに間に合うというんですから、
まあ、せっかちと言えばせっかちですよね。
もちろん、私もご午前中の予定はすべてゼロにして、テレビの前に座り込んでいました。
で、ご存知、菅官房長官が新元号を掲げた時、???と思ったんですね。
なんだこりゃ、と。
かみさんの父が、一緒にテレビを見ていたんです。
御年95歳。
まあ、この年で薬を一切飲んでいませんし、誰の手を煩わせることもありません。
すべて自分で行動するんですね。
矍鑠たるもんです。
この義父は、戦争中兵隊にとられ、南方の島に送られて、戦況が悪くなったんで、
後退をすることになり、迎えに何とかという船が向かったのだそうです。
で、なんの理由か、部隊の数名が残ることになり、その居残り組に入れられたのだそうです。
ところが本隊の兵隊を乗せた船が、島の沖合で撃沈され、あらかたが犠牲になってしまったとか。
島に残された時は、これで最後かと覚悟したそうですが、逆に命拾いをしたわけです。
戦争でそうなったのか、性格なのか、私にはわからないのですが、
まあともかく寡黙で物静かな人なんですね。
この義父が、テレビで「令和」の文字を見た途端、何だこりゃ、と怒ったんです。
声を出して、不満を言うなんて珍しいことです。
きっと令という文字から、命令の令、和から、従うという解釈をしたんでしょうね。
和するということは、その根底に自分を捨てるという意味が含まれます。
言われたことを進めるために、心ひとつにせよ、みたいな解釈だったのだと思います。
戦争中の、横暴な上官の言葉でも思い出したんじゃないでしょうか。
夕方のワイドでこのことが繰り返し放送されましたが、そのたびに、怒ってました。
まあ、そういう解釈もありでしょうね。

 

そもそもが平成に切り替わった時、妙な違和感を持ちませんでしたか。
履きなれない新しい靴をおろした時みたいに、
なんかフィット感がない。
でもいつか慣れるもんで、
今回も、すぐに慣れると思うのですが、義父には長く違和感を持ち続けるでしょうね。
まあ、なんだかんだと、大正、昭和、平成、令和と生きてきたんですから、
なにか、思うことがあってもそれはそれで、受け入れてあげなければ、と思っています。
ま、義父もいずれ慣れるとは思うのですが。


実際、典拠となった万葉集では、令月という表現ですから、
このましい、とかすぐれた、とかの意味なんですが、
令そのものを辞典で引けば、
,いい弔韻襦L燭犬襦いいつけ。「令状」「命令」
△里蝓きまり。おきて。「訓令」「法令」
おさ。長官。「県令」
い茲ぁりっぱな。「令色」「令名」
ヂ梢佑凌涜欧紡个垢觀評痢「令室」「令嬢」
とあります。
命令系の解釈と令名系の解釈の二つがありますが、
通常、辞書を読み取るとき、書いてある順序がプライオリティの高いものなんですね。
つまり、普通は命令形の解釈が主で、令名系の解釈は従になってしまいます。
ですから、そういう解釈をする人がいても不思議ではないんですね。


でも、令和を選択した理由は安倍首相が説明した通りなんでしょうから、
勘ぐった解釈をして、いちゃもんをつけることはないでしょ。

夜のワイド系の情報番組で、野党各党のコメントを紹介していましたが、
左寄りの党は、なんだかんだといちゃもんをつけていました。
正直、国民の心情を汲む能力がないのか、もしくは、
党の体面として、一言言わないと、野党としてのアイデンティティが失われると勘違いしているのか、
まあどちらかでしょ。
令和と墨痕鮮やかに習字を書いた子が、テレビのインタビューで、平和の世の中になるとうれしい、と言ってました。
これが本来のコメントでしょ。
いくら政治家と言えど、このような手立てで決まった元号を、修正、変更できるわけないでしょ。
だったら、国民に希望を与えられるようなコメントをすべきでしょ。
私は子供の方がよほどましだと感じました。
なんでも文句を言うというのは、冷静に見ていると、品性に欠けますね。
物事をプラスの視点で見れないやつって、何をやっても駄目ですもんね。

 

さて、改めて、日本の国って、なんで元号で、ある期間を表すんだ、と思ったんですね。
まあ、大化以来続いている国の根本的な制度なんですが、
確かによその国にはなく、世界広しと言えど日本独自の制度でしょ。
例えば、西暦だと単に数字での表現ですよね。
私は1944年生まれ、つまり、イエスが生まれて1944年後に生まれたという事でしょ。
2019年は、2018年の次の年、ということに過ぎないでしょ。
でも、よく考えてみれば、元号はその時代のタイトルでしょう。
平成というタイトルの期間が終わり、令和というタイトルの時代が始まったわけです。
2018の次の2019とは意義が違うでしょ。

 

日本民族として、そのタイトルはいわばテーマであり、
言葉の意味をしっかりと理解すれば、それは国民としての目標になるんじゃないでしょうか。
平成に生きる、ということから、令和に生きるという転換になるわけです。
まあ元号をそう考えると、単に時間の流れの一区切り、と言うだけでない、

深い意味を与えることができるでしょ。
これは、よくよく考えれば素晴らしいことですよね。
万葉の頃に日本人が持っていた感性を取り戻そう、という時代が始まるんですね。
武道場に、鍛練とかの文字が掲げてある。
会社の社長室に敬愛とかの文字が掲げてある。
これと同じように、この後何十年か、

日本という国に、令和という文字が掲げてある、と言うことですね。
大事なことは、飾り物にしないで目標として実践的に扱うことです。

 

過ぎてしまったのですが、昭和とはどういうテーマだったのか、というと、
四書五経の一つ書経尭典が典拠だそうですが、
「百姓昭明、協和萬邦」からとったそうで、
人々はすべて聡明で、様々な国が仲良く助け合うという意味を持ち、

それは、平和への願望であると言われていました。
で、昭和の64年間はどうだったのか、と言えば、

最初の20年間は真逆の時代を作り上げてきたのでしょ。
正に、戦争の時代でした。
真に昭和という時代のタイトルを国の目標にしていたら、
あんなばかばかしいことはしなかったはずです。

 

大事なことは、元号を唯の飾りものにしない、ということですね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
足も失う夕張

市町村の数は、年々少なくなってゆきます。
もちろん合併が進むからです。
明治22年に市町村制が施行された時は、全国の地方自治体は15,859もありました。
市長さん、町長さん、村長さんが、15,859人いたわけです。
で、その後徐々に減ってゆき、
特に戦後、合併促進を法的にバックアップしたため、見る見る間にその数を減らします。
この70年間で、10回にもわたる、合併促進の及びその補完の法律が制定され、
現在は、自治体総数1,704と、あのころのほぼ10分の1。
自治体側としては、政令都市から始まって、中核都市とか、いわゆる市町村にいたる様々なランクがあって、
それに応じた自治権が与えられるので、合併のもくろみとしては財政難時代の効率的自治体経営を模索すると、
どうしても合併したほうがよさそうだ、となるんですね。
これは、自治体とは名ばかりで、なんだかんだと交付金など含め、
財政が中央のひも付きになってしまい、自主的運営が難しくなってきているからですね。
まあ、赤字を抱えた企業が、合併で活路を見出そうとするようなものです。
日産がルノーと提携したのもそんなところでしょ。
さて、まあ、国としても自治体の数は少ない方が、様々な管理の上でも効率的ですし、
何とか大きな塊を作ってください、というわけですね。
で、基準として「市」は人口5万人以上、町は5千人以上、など人口の規定がありますが、
これは新規に、ランクアップを想定した場合。
もともと、そこそこの人口だったのが、人口流出により、人口が減ってきています。
最近は、この例が多いですね。
で、その場合、5万人を切ったら、町に戻るのか、ということですが、それはないんです。
相撲の番付じゃないんですから、大関、関脇、小結も、成績が悪くなったら、ランクが落ちます。
全休が続いた照乃富士なんか、大関だったのに、序二段まで落ちましたもんね。
ちなみに、春場所から復帰し、全勝しました。
ま、あったりまえですけどね。

さて、地方自治体の場合、降格はしないのです。
もしこれが、Jリーグみたいに、J1での戦績が悪ければ、J2に降格といったように、
人口5万を切ったら、町に降格、人口5千人を切ったら村に降格となったら、どうなんでしょう。
それなりに必死になって、市政の立て直しをするでしょうね。
市民も、役所も、もちろん市長市議会議員もこぞってです。
でも、そういう努力って、必要でしょ。
そういう制度がいいかどうかは別ですが。
人口が減っても市町村の名称の降格はない事が望ましいのですが、
なんとなく住んでいる人の自覚とか、誇りとかに影響するでしょうし、

降格がないからと言って、人口が流出する要因を、何の手立てもなく、

やり過ごしている行政関係者が多いんじゃないでしょうか。

 

かつて、12万人ほどの人口だったのが、今や8千人程度になってしまった町があります。
いや正確には市ですね。
ひどい凋落ぶりでしょ。
学校の教室に30人の生徒がいたのに、今や2人、と言う比率になります。
空いている28のイス机が空しいですね。

これは北海道の夕張市です。
人口8000人だからと言って、夕張町とはなりません。
夕張市、です。

 

夕張市は、明治初期から炭鉱の町として栄えました。
1960年、今から60年前には、夕張鉱業所・平和鉱業所・三菱鉱業所など石炭関係の企業を中心に、
多くの人が集まってきて、116、908人の人口を抱える都市とだったのです。
しかし、昭和30後半以降、エネルギー革命による石油への転換が進行します。
国際間の競争や、炭坑にありがちな相次ぐ事故、国の石炭政策の後退などにより、
まちの基幹産業がかげりを見せ始めます。
こうなると、坂道を転がり落ちるごとく町の勢いは失われてゆきます。
で、市が目指したのは観光客誘致。
そこで、いろいろな建築物を作り、新たな夕張の魅力を発信しようと躍起になります。
しかし、こう言う事って、企画力とか、運営のセンスが大きな要因になるので、
物を作って、はいお仕舞、という行政手法では、ひたすら初期投資が重なるばかり。
挙句の果てに、設備維持のランニングコストを雑に考えたものですから、
借金は増えるばかりになってしまったのです。
そして最悪な事態が発生します。

 

それは、イッカリという財政の姑息な手段を使ってしまったんですね。
この「一借り」とはどういうものか、というと、
3月31日に、借金を返済します。
もちろん帳簿上の操作です。
で、4月1日に、新たな借り入れを起こした風に装います。
実際返し、また借りると言いう事をしたかもしれませんが、

そこは、銀行側とは阿吽の呼吸。

要は借入金額はそのままで、名目的に年度末に返済し、年度初めに借り入れる、と言いうことです。
なんだその制度は、と思うでしょ。
ところがこれが怖いんですね。
会計のシメは、4月1日から翌3月31日までですから、期末残には、返済してることになっているんで、
借金の額は記載されません。
つまり、借金はないことになってしまうんですね。
でも実質は資金繰りから言って借り入れつづけなければならないので、
4月1日に新たに借り入れを起こすわけですが、これが期末にはなくなっている。
つまりどのように決算書の帳簿面を追いかけても、借金の額は記載されないんです。
第三者には、これは発見できないんですね。
で、いよいよ夕張もお手上げになった。
そしたら出てくる出てくる、あちらこちらの借金だらけだったんですね。
行政のごく一部の人によって操作されたので、大半の人は、気づかなかったんです。

 

財政破たんが露呈した時、市民は、悪い悪いと聞いていたけど、ここまでのものとは、
と一様に驚いたそうです。
日本で初めての行政体の破産した。
当然住民サービスの質は低下します。
それでなくても、寂れ行く街での生活の利便性は失われ、将来の夢も描くことができない。
じわじわと夕張から人口が減り始めました。
で、ついに8000人ということになったのです。

そしてこれに輪を架けるように、
北海道夕張市の中心部を縦走するJR石勝線・夕張支線16・1キロ、が31日夜、最終運行を終え、
明治以来127年の歴史に幕を下ろしたのだそうです。
人口が減少したのですから、乗降客も減少します。
かつて、飛ぶ鳥を落とす勢いだった石炭産業。
これを支える輸送のための線路も、もう不要のものとなりました。
時代は流れるんですね。

 

平成ももう終わろうとしています。

 

あと1時間もすれば、新しい元号が発表されます。

さて、何となるのでしょうか。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
名首相になるために

名首相 期待されたが 迷首相

お粗末ながらの川柳一句。


イギリスのメイ首相が、EU離脱について、国内の混乱をコントロールできない状態が続いています。

 

もともとと言えば、誇り高い大英帝国時代の栄光の誉れを引きずるイギリス人が、
EUの中での立場に若干の不満を抱いていたんでしょうね。

中国の言葉に、鶏口となるも牛後となるなかれ、と言う言葉があります。
ま、意味は、大きな組織で人のしりについているよりも、

小さな組織でもいいから頭に立つ方がいい、という意味です。
ニワトリのような小さな動物であってもその頭であるほうが、

牛のように大きな動物の尻になるよりはましだろうということです。

EUに残ることは、牛後になる、と。

 

きっとイギリス人は、その誇り高さから、ヨーロッパの国々と同列、またはそれ以下の扱いがあった時、
ある種の屈辱感があったんでしょうね。
離脱の理由の一つは、移民の受け入れに関して国民が難色を示したことだったように思います。

大体、アメリカのトランプをはじめ、移民に対する考えが基本的にゆがめられていますね。

 

そもそも人類が北アフリカで種を確立し、その後、中近東を経て、ヨーロッパへ、
また、東に移動しつつ、インド中国に東南アジアに、
さらにその延長として、アラスカに渡り、北アメリカ、南アメリカとその生息域を拡大してゆきましたが、
これって、人類のDNA的に刷り込まれた「移動癖」でしょ。
勿論、とどまる人もいますが、移動する人もいる。
これは動物学的に考査すれば、生息域を拡大するというのは、極めて本能的な事なんです。
理由は簡単です。
生息域を広げることが、種の繁栄につながるからです。
極端な例で考えれば、もし発生の北アフリカにとどまっていたら、
現世界人口の70億人は、そんな狭い所で暮らしていけないでしょ。
水も食料の燃料も賄えないに決まっています。
生息域を広げるというのは、種の維持拡大に必要な手段だったんです。
ですから、人類、特にホモサピエンスとしては、20万年間に蓄積してきたDNAとして、
一部はそこにとどまり、一部は外に出てゆく、という行動様式を取りつづけてきたんですね。

 

ところが、19万年を過ぎたころ、農業が定着し始めた。
つまり、農業によって、生息域が限定されたということです。
田んぼや、畑のそばで生活せざるを得なくなったわけです。
いわゆる、定住がはじまります。
このことは、国家意識が芽生えることになります。
他の民族の侵入を防ぐ、ということで、武力集団が発生し、
生活権を守る人々と、生産をするという人々とに分かれるわけです。
ここから国家という集団の組織化が進みます。
この時になって初めて、生息域を個人で拡げるということが抑えられるようになったのです。

 

とは言え歴史的に見れば一瞬のこと。
やがて、国家としても侵略により生息域を広げるようになり、
近代においては、戦争による領土拡大、植民地化などでの生産域の拡大などが行われました。
結局なんだかんだと、人は、そもそもの拠点から移動したがる性癖を持っているんです。

 

第一、アメリカという国家は、他国からやってきた移動癖がある人の集合体でしょ。
よそからやってきた人たちで構成された国じゃないですか。
またイギリスはイギリスで、帝国化を掲げ世界各国で植民地化をすすめてきたわけでしょ。
最盛期は50を超える国と地域が英領でした。
現在も5つの地域の英領があります。
そもそもアメリカはかつて英領だったわけでしょ。
独立戦争に勝って自立しましたが、

それまでのアメリカ国旗というのは今のものとは違っていました。
今の国旗は左上に紺地で白抜きで星が並んでいますが、
あの部分がユニオンジャックだったんです。
ニュージーランドやオーストラリアの国旗の左上に

ユニオンジャックがデザインされていますが、
まああんな風だったんですね。
そんなくらいですから、かつては地球上のあらゆる地域にイギリスの息がかかっていたわけです。
太陽が沈まない帝国とまで言われました。
地球をぐるりと回るところにイギリスの植民地があったのですから、

どこかのところが必ず陽が当たっていたわけです。
正に、日が沈むことが無かったんですね。

 

要は、人は、なんだかんだと移動したがるものなんですね。
たまたま国家と存在の地理的な線引きがなされたために、

そこを超えることに面倒な手続きが必要になってきた。
それだけの事です。
それを今になって、うちに国に来るな、というわけでしょ。
あんたたちのおじいさん曾おじいさんは達は、勝手に人の家に入り込んで行ったじゃないか、と。
今更なんだ、という感じがしますでしょ。

 

ま、人間の本性、特性を考えて、もう一度整理した見たらどうなんでしょうね。

そうすることが、迷首相から名首相に戻る方法だと思うんです。

ねえ、メイ首相。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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