水嶋かずあきの甘辛問答

神奈川県平塚から、水嶋かずあきが語ります。
おかげさまで健康保険

先日、ほぼ同年代のかつての仲間と久しぶりの飲み会をしました。
参加者15名ほど。
で、案の定、病気自慢大会になってしまいました。
これは、そもそも、多かれ少なかれ、何らかの病気が発症しはじめた年齢ですので、
テーマとしては避けられないでしょ。
で、誰かが自分がかかっている病気について話す。
実話ですから、だれも、説得力があるでしょ。
それこそ手術でも経験してればその時の様子。
医者とのやり取り。
普段のケアーなど、まあ一通り話すわけです。
当然、周りからいくつか質問が飛びます。
今、縁のない病気でも、明日は我が身ですから、これまた詳しく聞きたがる。

同病の場合、まさに相憐れむわけです。
そうして、なんだかんだと一通り、病気報告がなされるんですね。
一巡終わっても、まだ病気の話をしているんです。
ガンの人も多かったですね。
中にはステージ靴裡造箸い人もいましたが、
何故かみんな明るい。
病気になったからと言って、くよくよしてないんですね。
まあ、とりあえず生きてるしさ、と言ったところです。

 

で、私も病気自慢なら負けないぞ、と言うところなんですが、
でも、筋無力症が発症してからは、いささか病気に関する考えが変わりましたね。
そう、元気なころは、健康なんて気にせず、他人事のような気持だったですし、
病院とか医者とか、あまり縁のない存在でしたね。
ですから、医療に関する厚生的制度も、実感が無く、
収めろと言うから収めているのが健康保険、という感じだったんです。
で、この年になって、医者に行くたび、その支払額の10倍は医療代として掛かっているんだ、
と認識を大にしています。


たとえば、血液検査を3か月に一度するんです。
病気の進行度をチェックするためです。
で、一割負担ですから、2千なにがしか支払います。
と、単純に、保険に入っていなければ、2万なにがしか支払うんだな、といつも思っています。
元気なころは何も感じませんでしたが、まあ、今となるとありがたい話です。

 

で、筋無力症になった時、特定疾患、つまり難病については、医療的な特例がありるらしい、
と聞いたので、早速調べ、特定疾患の申請をしました。
と、オレンジ色の手帳が送られてきて、
支払い時にこれを見せ、月額で、2万円を超えると、それ以上の支払いを免除される、
と言う制度が適応されることになったのです。
で、何よりありがたかったのが、投薬については全額無料だったのです。
手術も終わり、自宅に戻ってからは、ただ薬を飲む、という事の毎日でした。
ま、痛くも痒くもないんですね。
でも、その薬の量と言うのは半端じゃない。
で、一部高額な薬も交じっていて、ある時、薬局の人が、処方通りの薬を手提げ袋に入れて、
その袋を掲げて見せて、水嶋さん、この一袋で、14万円分ですよ、と言ったんです。
私は驚きました。
そんな金額の薬を飲んでいたのかと。
でも、ありがたいことに、薬代は全額免除だったんです。
それから、2年すると、対応基準が変更され、
薬代については、支払い義務が課せられました。
とは言え、年が年ですから1割負担です。
ただで無くなったんですが、まあ、体も順調に回復しているんで、

1割ぐらいは当然じゃないか、と思ったんですね。
それより何より、残り9割はどうなってんだ、と。

 

まあ、年よりは増える。
病人も増える。
病院に掛かる、薬をもらう。
などなど、国が負担する医療費も大変だろうと思うんです。

 

で、ここに来て、医療費を抑制するためのシステムが検討されはじめました。
いいことですね。
1割負担と言うシステムの気安さから、
安易に病院にかかる癖が生まれてきていないだろうか。
そこで、財務省は、財政制度等審議会の分科会で、
かかりつけの医師以外で受診した場合に患者の自己負担を増やす制度や、
新薬の保険適用の際に費用対効果の検証を導入することなどを提言したのだそうです。

政府は、これらの風潮が、医療費の負担が増加する要因となっていると現状を分析、
過剰な通院や受診を減らすため「かかりつけ医」や「かかりつけ薬剤師」への受診を推奨しているのです。
あわせて、少額の受診に一定程度の追加負担を求めていく、という事も検討されているとか。
確かに、病院の窓口で、数百円の請求をされた場合、なんだか申し訳ないような気がするんですね。
多少の負担増は、先を考えれば、やむを得ないと思いますね。

 

何より、この制度によって、かかりつけ医、かかりつけ薬剤師の制度が、広がってゆくべきだ、と思っています。
わがマンションでは、ありがたいことに、内科外科の医院と、処方箋薬局と、歯科医が、建物内で開業していて、
マンション住民とは、かかりつけ契約をしています。
つまり我がマンションで、生活するという事は、同時にかかりつけ医、
かかりつけ薬局、かかりつけ歯科医を持つことになるのです。
なかなかすぐれているでしょ。
実際、かかりつけ医も、かかりつけ薬局も、かかりつけ歯科医も、同じ建物内、と言う物理的な距離もさることながら、
やはり、同じ屋根の下ですから、人間関係が緊密になりますよね。
治療にとって、この条件は何より大事な事でしょ。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
にほん・にっぽん

「日本」という国名は、何とも、複雑な歴史があるようです。
何しろ、その昔の様々な文献には、様々な呼称が付けられていて、
まあ、定まったものがなかった、という事でしょうか。
単純には、いわゆる領土としての概念が不確定だったので、
それぞれの呼称も、時の天皇が言い出したみたいなところがあったりしたようですね。


で、なんとなくそう言えば聞いたことがある、と言うのが、
万葉集などに登場する「敷島」。
日本書紀などに出てくる「瑞穂国」。
これは例の森友学園の小学校が、使おうとしていた名称ですね。
で、やがて、朝廷の組織も固まってくると、大和国と言う名称が登場します。
さらに、『古事記』や『日本書紀』では「倭」「日本」として表記されているんですね。

とまあ、いくつかの変遷の後に、大和と日本が併用されたりしつつ、
日本に絞られてゆきます。


何処の国にも国名がありますが、
きっと日本の場合それなりの歴史があり、
かつ、島国だったこともあって、外国の侵略を受けること無く、国の本来の体制が継続してきたので、
現在地球上にある200を超える国々の中でも、
長期間、国名を維持してきた国として、その長さは特筆する国なのかもしれません。
何より、現代の多くの国が、国家体制を国名に付けて表現しています。


例えば、一番多いのが、何々共和国。
王国を名乗る国もちらほらあります。
あと、連邦、とかもあります。
要は政治体制を国名に付けて、その国の正式名称にしていますが、
日本は、何もつけていませんよね。
これは少数派、ただ、日本国。
もっとも、七十数年前までは、大日本帝国などと名乗ってましたが。

 

このシンプルこの上ない国名なんですが、
不思議なことに、文字に書けば日本国で、何のブレもないんですが、
呼び名となると、にっぽん、にほんの二通りがあります。
しばしば統一しようか、という話が持ち上がってきたのですが、
結論は両方とも普通に使われているので、あえて統一しないという事になって、
現在では、どうでもいいじゃんという考えのようです。


そもそも、憲法とかでは、我が国は、何々と名乗る。
と、国家の名称が定められているものですが、
日本ではこれがないんですね。
日本国憲法と言う最も権威のある文書なのですが、
これにも、国号を日本国、とか規定していないんです。
そして、当然のように、国号を規定した法律もありません。
どうも何となく、日本で済ましているんですね。

 

こんな位ですから、外国からの呼称もバラバラ。
もっともそれぞれの国の言葉で表現されるので、多少のなまりのようなものは、仕方ないのでしょうが、
おそらく、国の数ほど呼び方があると思ってもいいくらいです。
とは言え、基本はJAPAN。
私達は日本と言っているのに、どうしてジャパンなのかですよね。
私は、水嶋です、と名乗っているのに、スイトウとか言われているようなものです。
よくよく考えれば、にっぽんとか言ってもらいたいでしょ。


で、ジャパンが登場した経緯があるのですが、
基本的なボタンのかけ違いは、中国にありました。
「日」を「ジツ」に近い発音をします。
「本」は「ポン・ポング」と発音します。
で、ジツポンで、ジッポングからずれてゆき、ジャパンになったんですね。
中国でそう言われていたものを、マルコポーロだか、誰だかが自国に伝えたんですね。
で、西欧では、ジャパンの音が先行したわけです。

 

ま、そんないきさつはともかく、最近、日本も悪くないけど、

大和もいいじゃないか、と思っています。
だって、大いなる和でしょ。
平和の和です。
和(なご)みの和です。
少なくとも、和の概念に争いはありませんね。
仲よく和む国なんです。
それも大いなる和みなんです。
なんとなくですが、いかにも民度が高そうでしょ。
事実、私たちは穏やかに協調的な精神をバックボーンとして持っている民族ですよね。
時に人は、ふとしたはずみで、ミスをしたりしますが、
それも恥と言う文化でカバーしてきました。
なぜなら、共にあるという和の精神は、集団における協調を優先させるので、
その乱れは、恥じと受け止めるんですね。
まあなんだかんだと、民度が發ぬ餌欧澄△隼廚い泙后

 

日本と言う日のいずる処、と言うところととも、
大和と言う精神文化を脈々と受け継いできている、と思うんです。

まあ、民度の低い国があったら、少しは見習ったら、と言いたいですね。
なぜなら、ささやかなものであっても、民度のレベルによって、
世界の平和は乱されてきたからです。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
テラフォーミング

テラフォーミングという言葉があります。
家で言うなら、リノベーションです。
中古住宅を、より快適な住環境に再生する事を
リノベーションと言いますが、これの惑星版がテラフォーミングです。


ここで、惑星の環境を再生するというのは、地球の事ではありません。

可能性としては、火星ですね。
この火星を、人間が住めるようにその環境を変えてしまおう、という事です。
どのようにやるのか、どの範囲なのか、そのコストはだれが負うのか、
また、その火星にはだれが行くのか、
さらに根本的な問題として、なぜそうするのか、など、
どうもわからない事ばかりです。


地球以外の惑星に移住してみようというテラフォーミングの発想は、
きっと、人間が大空を飛び回る、という夢をかつて持ったことがありますが、
どうもこれに近そうなんですね。
要は夢です。


大空を飛ぶという場合、様々な要素から、技術開発がなされ、
ライト兄弟の挑戦から始まって、なんだかんだと実現してしまいました。
しかし、このテラフォーミングの場合、いかにもとてつもないことでしょ。
それこそ中古住宅のように骨格が使えて、
壁や床、多少の間取りをいじるという程度ですが、
火星の場合、根本的な作り変えになるはずです。
まずは大気を作り出さなきゃいけない。
大気は薄く、いわゆる気圧と言うレベルでは
地球の100分の1だそうです。
成層圏を超えるところまで大気はあるのですから、
それこそ窒素やら酸素やら炭素やら、大気を構成しているものをどうやって、火星の地表に作りだして行くのでしょうね。
それも火星に存在する物質を使ってです。
さらには、
重力だって地球と同じというわけではないのです。
およそ地球の3分の1。
この違いは、おそらく大きな障害だと思うんです。
現在の重力が前提で、今の私たちの骨格や筋肉が作り出されてきたので、
重力の違いは。現状の人間の肉体では長期にわたって考えると、
耐えきれないのではないかと思うんですね。

 

逆に、地球が今の3分の1の重力だったとすると、さまざまな生物の進化を想定した場合、
今の動物たちのような、手足があって、頭があって、胴があって、と言う形態は異なっていると思うんです。
今の人間とは全く違う形態の動物が誕生していたはずです。
この違いを、火星でカバーできるのか、という事です。


そのほか、放射線被ばくや土壌の過塩素酸塩や過酸化物など有害物質も存在するそうです。

 

ざっと、地球での生物の進化を考えてみましょう。
生命体そのものが地球に登場したのは、40億年とも38億年とも言われていますが、
これはいわゆる原子生命体のことで、シアノバクテリアなど、単細胞の生命体に過ぎませんでしたが、
これが、ほぼ7億年前ぐらいまで続くんです。
つまり、30億年かけて、次の段階に進化するきっかけを得るんですね。
これは多細胞型細胞になることです。
このきっかけはいわゆるコラーゲンと言う物質を作り出したことで可能になりました。
つまり今の生物の基礎がつくれるまでに、長い時間がかかったという事です。
ここで、一挙に生物的な外見が多様化します。
そして、何回かの生命体の絶滅期を経験しながら、そのたびに、大きなステップアップをします。
で、およそ4億年前に、それまで海の中でしか暮らせなかった生命体は、
動物植物とも、地上に進出します。
これは今までも海からの脱出を図ってきましたが、
紫外線とか、放射線の類のいわば殺人光線が地上に降り注いでいたので、陸での生活ができなかったのです。
ところが、植物系の生命体が、光合成で酸素を作り出し、これが徐々にたまってゆき、
やがれ成層圏にまで届くようになり、ここでオゾンを作り出したので、
これによって、紫外線などの大半を除去することができるようになり、
生命地の基本であるDNAが保護されるようになったのです。
つまり、私達が今こうして地上で生活できるのは、
オゾンが、殺人光線のバリアとして機能しているからなんです。

 

火星には大気そのものがないんですから、火星の地表に降り注ぐ殺人光線をどう防ぐんでしょうか。
まあ、夢物語を語る人たちはいても結構なのですが、
どれほど他の惑星への移住が困難な事なのか、
どれほどコストがかかりうことなのか、
さらに重要なのは、誰が行けるのかでしょ。
このプロジェクトの原点は、地球が住めなくなったら、という事が前提です。
現実に、70億人を送り込むことはできないはずです。
という事は厳選された誰かが移住する。
大半は過酷な環境に変化しつつある地球に残される。
この問題が最大の問題でしょ。

 

こんな、テラフォーミングのために、つまらぬコストを掛けるなら、
現在、壊れつつある環境を、何とか元に戻すという事にエネルギーを転嫁すべきでしょ。
もっとも、このテラフォーミングは、どう急いでも200年以上かかる、と言われていますので、
私達は、すでにいない人間なんですけれど。

| 水嶋かずあき | 環境 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
土浦の花火大会

昨日、茨城県の土浦市で開催された全国花火競技大会の見物に行ってきました。

この花火大会は、日本三大花火大会、と言われるうちに数えられていて、
まあ、それは豪華絢爛な花火が打ち上げられるのです。
競技大会と銘打っているわけですが、これは、三つの部門で構成されていて、

それぞれ、花火師の腕の見せ所なわけです。


一つが10号玉の一発勝負の部、です。
これは、いわゆる尺玉と言われる、直径30センチの花火玉を打ち上げるもので、
きっと、最も繊細な技術が求められるだろう、と思うんです。
すべて昇り曲導付で、本体の球は、三重芯変化菊、とかいうものになっています。
多分よく分からないと思いますので、もう少し解説。
昇り曲導付とは、花火が打ち上げられ、頂点にたどり着くまでに、
途中、何らかの小さな花火が複数個開くんですね。
もちろん、細かい規定はないと思うのですが、それぞれ工夫されていて、
夜空に上ってゆく光の筋に、ちらちらと小花火が点火されてゆきます。
中には笛がついていて、ヒューと言う音がするのもあります。
そして、頂点で開花するんですが、これがただ丸い形だけでなく、
その芯の部分が色の異なる同心円になっていて、
さらに、何色かに変化するんです。
ま、一瞬の勝負なんですが、これが、色変わりの同期性とか、その直径が正円に近いかどうかだとか、
さまざまな観点があって、そのレベルが競われるわけです。
単純と言えば単純なんですが、きっと玄人好みの部門何でしょうね。

 

第二に、創造花火と言う部門があります。
これは、なぜか、従来から、7発打つことになっていて、
これが順に打ち上げられるわけです。
一発一発の内容は微妙にことなっていて、その7発の花火で何かを表現するんです。
打ち上げの高さとか、花火の開いた直径とかから察すると、3寸玉、とか、
条件が規制されているのではないかと思います。
ま、今までは、この創造花火で、新たな技術開発や、
表現方法の模索が行われてきていて、火薬の混ぜ方とか、色の発生方法とか、
さまざま花火の進化に大きく寄与してきたのではないか、と思います。
かつては、トランプの舞、とかテーマで、ハートやダイヤ、スペードなどの形を作り出していました。
時に、キティちゃんが7個打ち上げられたこともありました。
ですから、以前の大会などでは、それなりの驚きがあったのですが、
最近は、なんとなく見慣れた内容のように感じ、
かつてほどの進化度は失われたように感じました。
おそらく、この部門は、どこかで改善されるのではないか、と思います。
ま、見る側としては、さほど面白くないんですね。

 

で、三番目はスターマインです。
これはどこの花火会場でも人気のものですが、
連続して、大小の花火が打ち上げられ、
その豪華さにおいては、これぞ花火というものですね。


このスターマインは、そもそもは仕掛け花火の裏打ちとして、

打ち上げられてきたものが独立して進化したものです。

きっと競技ですから、総打ち上げ数が制限されていると思うんです。
その中で、大小の球を混ぜ、演出をし、色遣いを決めるわけです。
以前は、ただ、花火が打ちあがるだけだったのですが、
最近は、曲付きで、会場にスピーカーから音が流れ出し、
音楽に合わせた構成をしているようです。
正直、曲との同期性やら、曲のリズムとの調和や、そういう面での音楽性については、まだまだです。
選曲も、これでいいのか、みたいなところもありますしね。
とは言え、その豪華な花火の数と、色の変化、音など、

迫力はちょっとその辺の花火大会で見るスターマインとは、数ランク上のものです。

 

この競技大会は、それぞれの花火製造店の技を競い合うものですから、
花火が始まる前に、どこのだれの作品か、という事が放送されます。
もっとも、プログラムが配られていて、3つの部門別と、作品のタイトル、
さらに製造会社の名前が並んでいるので、それを見ればわかります。
大雑把には、何とか煙火店、という名称が多かったと思います。
ですから、そのお店の技を精一杯出し切る競技ですので、
尺玉単発であろうと、創造花火であろうと、スターマインであろうと、
それはそれで各店のメンツをかけた競技になるのですから、
若干の失敗はあるでしょうが、それなりの技術を見せつけるんですね。

 

このような花火大会ですから、なかなか人気が高くて、
桟敷席を確保するのも難しいのですが、
これは、地元土浦の篠塚さんが、席を手配してくれるんです。
まあ、昔からの交遊のある方で、市議を三期務めている、という、
そこそこに顔の利く方なんですね。
ともかく、電車で、土浦駅を降りた時から、人、人、人の大群衆、
会場までのシャトルバスに乗るまで、小一時間。
会場に付けば、駅よりもっと多い、人の群れ。
どこかに行くのに、普通に歩けないんです。
例えば、臨時トイレが30〜40基、ずらっと並んでいるんですが、
1列が20人以上いて、待たなければいけない。
尿意を催してから並んだら、最後まで持たないかもしれない、と言うほど時間がかかるんです。
会場の桜川の河原には、単管パイプで作った桟敷席があるんですが、
ともかく見渡す限り、人が座っているんですね。
聞くところによりますと、なんだかんだ、70万人以上は見物客がいる、とのことでした。
ですから、帰りのバスに乗るのも小一時間。
この混雑を前提にしておかないと、人によっては不満が出るかもしれない。
ま、そんなもんだ、と。

 

で、その花火大会のプログラムが20番代に入ってです。
ま、いよいよ佳境か、と言う時です。
いくつかの花火の打ち上げ高さが、ちょっと低いんじゃないか、と感じたんですね。
一緒に行った仲間も、結構低い所で開花するんで、
演出にしちゃあ、危険じゃない、とか言っていたんですが、
突然会場のマイクで、安全確認のため、再開までしばらくお待ちください。とかの放送が流れたんですね。
これは、何度も繰り返され、10分もすると、それすら放送されなくなったんです。
かれこれ30分は過ぎたあたりから、これで、道の向こうに救急車でも来たら、
今日は中止だな、などと言っていたら、
それからしばらくして、中止の発表。
ま、口実としては、強風の天候悪化のため、とか言ってましたが、

誰も、どこが強風なのか、と感じていたので、これはまさに口実。
正直に言えばいいのに、と思いました。
要は事故が発生していたのです。


帰りの電車の中で、スマホに、土浦の花火大会で、

10人がやけどを負った、というニュースが流れていました。
まあ、本来の3分の1ぐらいしか見れなかったのですが、
ともに出かけた友とのぐだぐだしたおしゃべりや、おいしい花火弁当など、
まあまあそれなりに楽しめました。
事故にあった方も、軽傷のようで何よりです。
また機会があったら、やはり行ってみたいですね。
何より、まちがい無く、花火の技術は進化していますから。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ノーベル平和賞 その2

昨日、ノーベル平和賞の受賞者が発表されました。
正直、この賞の選定の基準が理解できなくて、
一体何の意図があるのか、という疑問はいまだに解けていません。


そもそも、先日のブログにも書きましたがまずはその繰り返しです。

 

ノーベルの秘書だったベルタ・フォン・ズットナーに、婚活中だったノーベルは惚れていたのですが、
恋人がいて、振られてしまいます。
彼女は、武器を捨てよ、と言う著作があり、平和主義者で、
かなり強硬な活動をしていました。
で、ノーベルは惚れた弱みもあって、物理、医学生理・化学の三賞に平和賞を付け加えます、
そして、1901年最初の平和賞が発表されましたが、
それはベルタではありませんでした。

世間では、その辺のいきさつを知っていて、初代平和賞はベルタだろうと言われていたのです。
で、ベルタが受賞したのは、1905年のこと。
この平和賞は、空白期が何回かあって、
第一次、第二次の世界大戦中などは、受賞該当なしでした。


で、改めて受賞者の顔ぶれを見てみると、
もちろん知らない人ばかりなんですが、
時にアメリカ大統領が出てきたり、そうだったの、と思うような人が登場します。
正直、改めて佐藤栄作元総理大臣は、なぜ受賞できたのか、と、
同じ日本人でありながら、疑問ですね。


受賞の大きな要因は、非核三原則を提唱した、という事なんですが、
当時、佐藤元総理が、核の持ち込みとか、その他核兵器の取り扱いには、
アメリカとの密約をいくつかしていて、決してピュアーに平和追求をしていたわけではない、
という事は、日本人ならうっすら感じていたはずです。
それが平和賞受賞なんですから、
正に、これは政治活動の、特に、ロビー活動の成果、と言われていました。

この裏話がその後漏れて、ノーベル委員会最大の汚点とまで言われています。


で、挙句の果てに、記憶の生々しい所では、オバマ大統領でしょうか。
核なき世界と言う演説をしただけのことです。
何らかの、核なき世界への具体的な一歩があったのか、と言うとそんなことは微塵もありませんでした。
でも、ノーベル平和賞を受賞しています。

 

2001年の褒章から、117年間で、18回の該当なしがあり、
およそ100回のリストを見ると、いわゆる組織・団体・機構と言った類の受賞が結構あります。
最も多いので赤十字です。
3回受賞しています。
平和賞は、成果ではなく期待に対するものだ、と言う人もいます。
物理や化学は、具体的な成果が評価されますが、
平和と言う、ある種つかみどころのない運動で、しかも実態が絶えず変化する事柄ですから、
これと言った決定的な評価をしにくいんですね。

 

で、今年の下馬評に上がったのは、
朝鮮半島南北の文・金の両指導者です。
確かに画期的な事を展開しましたが、
厳密に言えば、道半ば、と言うか、緒に就いたばかりですし、
明らかにその成果を予測しがたい状態です。
10年早い、と言ったところでしょうか。
何より、金委員長は、おじを殺し、兄を殺し、側近で会議中にあくびをしたという理由で、
高速砲で体が粉々になるような処刑をしてきた男です。
平和云々の前に、より人道的な思想が何等か垣間見れない限り、受賞資格がないでしょ。


でも世間は不思議ですね。
イギリスのブックメーカーでは、その賭け率は2.5倍で、第一位。
世間の目は節穴なのか、至って鷹揚な心の持ち主が多いのか、正直バカなのか、その辺が分かりません。
まして、あのトランプが予想第二位と言うんです。
貿易戦争を含め、世界を不安定な方向に、導いている張本人でしょ。
私は間違っても、彼らに賞をやらないでほしいと祈っていました。

 

で、ノルウェーのノーベル委員会は、2018年のノーベル平和賞を、
内戦状態が続くコンゴ民主共和国で
レイプ被害にあった女性たちの治療に努める婦人科医デニ・ムクウェゲ氏と、
過激派組織「イスラム国」による性暴力被害者で、
現在は国連親善大使として人身売買被害者の救済を訴えるイラクの
ナディア・ムラド・バセ・タハさんが受賞しました。

 

詳しくは知りませんが、受賞すると、そこそこの賞金を得られるのでしょ。
どこぞの大統領が、今更賞金を得たって大した意味がないでしょ。

もともと活動の費用に困窮しているとは考えられませんもののね。

今回のような、地道に草の根的な活動をしている彼らのように、

まさに、活動資金が不足しがちなところに、
有効に流れるほうが、真に平和に近づけるんじゃないかと思うんです。

まずは、適切な選択がなされたことにほっとしています。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
子ども食堂

時々、話題に上がるのですが、子ども食堂と言うのが、少しずつ拡大して実施されてきました。

 

もともとで言えば、東京都大田区の「気まぐれ八百屋だんだん」の近藤博子さんが、
孤食の子どもたちの存在を知り、少しでも状況が改善されたら、と始めたのがはじまり。
気さくなおばちゃんが、子どもたちに、お腹がすいたらいつでもおいでと

開放的なコミュニティ形成の基礎を作ったわけです。
この時命名したのが、子ども食堂だんだん。
だんだんは、近藤さんの出生の地・島根の方言で、ありがとうと言う意味。
で、これが2012年のこと。

 

時あたかも、国で、子どもの貧困対策が立法化され、
子どもの貧困対策に国が挙げて取り組もう、という事になりました。
2013年のこと。
ちなみに、この法律の第一条を転記します。


第一条 この法律は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、
貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、
教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策に関し、
基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、
及び子どもの貧困対策の基本となる事項を定めることにより、
子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする。


と、まあいっているのですが、
この類のことと言うのは、どうもあまり本気になって取り組もう、と言う様子がないんですね。
と言うのも、この類の法律と言うのは、基本的な方向を指し示すだけで、
具体的な動きは、周辺の関係者に任せてしまうことが多いのです。
そこで、任せられた方も、じゃあ何をするのか、となるでしょ。
予算的にも、十分なものが用意されているわけでもない。
何より、子どもの貧困対策と言うのは、
子ども自身に責任があるわけではないですから、
その大本の、親の領域を根本として正すべきで、
ある種の生活保護の延長になるんじゃないのかと思うんですね。

 

直に、子どもへの対応は、時に、取り違えが発生する可能性が高い。
行政の、事なかれ主義で展開される対応と言うのは、
さまざまな状況に応じたフレキシブルな対応が難しいのです。

そこで、民間における自発的な活動の方が、ずっと信頼性が高いわけですね。
行政が費用を負担することもないですしね。

 

で、問題は、この貧困対策とこども食堂が、ダブってしまったんですね。
したがって、なぜか、子ども食堂=貧困家庭対策、みたいな構図で認識されるようになったのです。
まあ、はっきり言って大いなる誤解ですね。

とはいうものの、子ども食堂に対する世の反応は実に敏感で、
2012年発足した1軒目から、3年後に300余り、さらに3年後の2018年4月の時点で、
2300軒余りとなりました。
この食事の機会は100万食に及んでいます。
急激な拡大です。
この急激な拡大が、ある意味、現場に大きな混乱を起こしています。
いや、正確には、世の中の認識に大きなブレが生じてきたと言う方が正確です。


大きく、貧困対策系のこども食堂と、学習支援が結びついたケア系こども食堂と、
孤食や、居場所や、コミュニティ形成を目指したコミュニティ形成系の子ども食堂の
二つの潮流が分かれてきた事です。
どちらが正統と言うわけではありません。
それぞれが目指しているところが異なるのですが、
ただ、これを十把ひとからげで世間がとらえていることなんです。


特に、貧困対策系の場合、そこに出入りするという事が

貧困家庭の子と言う看板をしょっていることになりがちですし、
コミュニティ形成系にあっても、貧困家庭の子という見方をされがちなんですね。
まあ、よくも悪くも、子どもの貧困対策法が、時に邪魔をしてしまっているのです。

 

子ども食堂の一つの流れとして、学習支援の活動があります。
これは、子どもが勉強をする場は、学校、家庭、塾、と言った場が考えられますが、
必ずしも、この三つの場ですべてが収まるわけではありません。
そこで、第四の場として、学習支援の、現代の寺子屋が展開されています。
これは、現役の先生とか、教職経験者、大学生など、子どもの学習の手助けをしようとするボランティアな活動です。
ここに、空腹を満たし、共に食事をする中からコミュニケーションを図ろうとする、
ケア付きこども食堂が生まれてきました。
現状からみると、正確には、食事つきの学習支援活動、と言ったところでしょうか。

 

ま、ともかく、様々な目的、方法で子供たちの食の面でのケアをしようと言う活動が広がってきているという事です。

 

無料、または100円、200円で食事のチャンスがあって、心温かい人たちと、同年だ老いの子供たちと触れ合い、

一時の安らぎや、孤食からの解放など、子どもの心を優しく育てることができる、

正にありがとうを実感できる場づくりでもあるのです。

この子ども食堂の発展こそ、ある種の世の中の動きとしては、大きな可能性を感じるものです。


半端な知識で色眼鏡で見ることなく、善意の活動を率直な視点で見ていただきたいことと、
ま、できれば少しは手助けしてみようか、という思いが大事なのではないでしょうか。

| 水嶋かずあき | グルメ | 10:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
旭日旗へのこだわり

昔々の話なので、正確にいつ、という事は覚えていませんが、
さる風俗の呼称で、こんなトラブルがありました。

 

当時、トルコ風呂と言う名称で、風俗系のお店が全国津々浦々に営業していました。
こう言うのって、省略されがちで、トルコ風呂、と言うより、簡単にトルコと言っていたものです。
ある時、これをトルコの青年が、このいかがわしい店舗を、なぜ我が国の名称で呼ぶのか、
と、猛烈な抗議をさる新聞に寄せたのです。
全国紙でしたので、それなりの反響もあって、
確かに、私たち日本人は気軽に他国の名称を使っていたけど、
それがいかがわしい職業への呼称だとすれば、
このトルコの青年のように、不快感を覚えるだろう、と、言う反応が多かったのです。

で、たった1通の投稿に、全国のこの業界の人たちが、それもそうだ、と。
さぞかし侮辱的な気持ちを味わったのだろうと、トルコの国の人々への謝罪も兼ねて、
彼らは名称を変更しよう、という運動をします。


そして、私の記憶が正しければ、多くの人に、新たな名称を公募しました。
で、その中からソープランドと言う名称を選択します。
もうこっちは既得的に営業をしているんだから、
とやかく言うな、と突っぱねることもなく、実に素直に名称変更をしたので、
正直驚いたのです。

 

これにかかわる話です。
以前、北海道の釧路で、奇妙なものを見かけたのです。
それは繁華街のちょっと外れたところに、ソープランドがあったのです。
で、建物の前面が塀があって、その塀に看板が掲げてあるんですね。
3文字の看板が3つに分かれて掲げてあって、1枚がおよそ180センチ四方。
この大きさのところに、一枚一文字書いてあるんですね。
で、それが、コ・ル・ト、と書いてある。
どう見ても、この間まで、ト・ル・コと並んでいたはずなんですね。
でもまあ、仲間内でそうしようと決めた事だし、
かといって、看板ごときに金を掛けるのも癪だとばかり、
並び順を変えた、という事だろうと推測したのです。


ま、確かに勝手な解釈ですが、それでも、そのトルコの青年の不快な思いを
それなりに受け止めて、全国津々浦々の同業が、呼称変更をしたというのは、
なかなかのものだな、と思っていました。

 

日本では、なんてないことも、他国にとって、不快に思う事ってあると思うんです。
で、相手の気持ちを慮るなら、多少は譲歩したりすることは、出来ればした方ががいい。
普段の人間関係でも、まあそのぐらいはいいか、と感じたら、
譲ったり、変更したりすることは、大人の器量としてはあるべきことでしょ。
時に、面子という感情が出てくるとややこしくなりますが、
ささやかな譲歩で、お互いの気持ちがなごむなら、
そのことを優先すべきでしょ。

 

日韓の間で、しばしばトラブルの種になっている旭日旗のことなんですが、
今回、済州島近海で10月10日から始まる国際観艦式で、これに参加する日本の艦艇に
自衛艦旗である旭日旗を掲げないよう、求めていると言うのです。
基本的におかしなことが一つ。
それは国際観艦式を開催するという事は、各国の軍艦が集まるという事ですし、
各国の軍艦はそれぞれ国の歴史に沿って、軍艦旗と言うのを制定していて、
日本は、日本の軍艦は旭日旗を掲げると定められています。
韓国は、何かとこの旭日旗を、植民地時代の日本の暴挙の象徴としてとらえていて、
トラブルのもとにしています。

とは言え、国際観艦式を韓国で開催し、日本が参加するという時点で、

旭日旗を掲げた軍艦がやってくるという事は、
大前提だったはずでしょ。

 

つまり、いきさつは分かりませんが、この企画が持ち上がった時に、
事前にしっかり話合いをしておけば、
艦砲射撃のような、遠回しな発言や、威嚇的な発言はなかったと思うんですね。
つまり、今更ことを表面化しているんですが、
何か、妙な意図を感じるんですね。

 

もっとも、この観艦式に関しては、確かに、国旗のみの掲揚を依頼しています。

これがルールかどうかはともかく、

主催者がそう言ってるんだから、日本も一考すべきでしょ、

にもかかわらず、面子があるのか、旭日旗の掲揚を譲らない。

ま、軍人さんにありがちな感情論なんでしょうね。

 

相手が嫌だ、という事を強く理路整然と訴えれば、
私は、解決できたのではないか、と思うんです。
だって、ほんの数日のことですから、ここは主催国に敬意を表して、
日章旗で代行させましょう、と懐の広い所を見せることができたはずです。


トルコ風呂の場合、たった一人の青年の主張でした。
今回の旭日旗の場合、一国からのクレームです。
あちらの読みの浅さもあったこととは思いますが、
不快感を取り除くという事も、国の権威以上に大事なことではないかと思うんですね。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
スーパーモンスターウルフ

野生動物による、農作物の被害、また人間への直接的な被害などがしばしば報じられています。
農作物の被害と言うと、猪とか鹿。

人間への被害と言うと、熊とか猿。


千葉では、キョンが大繁殖をして、農作物を食い荒らしているようです。
キョンより大型の在来種の鹿もあちらこちらに出没し、植林した木や、農作物の被害が出ているとか。
中には、島と島を繋ぐ橋が完成したら、その橋を渡ってやってきて、畑の作物を食べてしまうそうです。

猪の被害に至っては、もう枚挙にいとまがないくらい。
最近、猪がかなり泳ぎ達者という事が分かってきたようで、目撃例によると、30キロぐらいは泳ぐそうで、
四国の瀬戸内海では、島にいた猪が、香川に渡り、沿岸の地域で被害が出ているとか。

 

また、女性ばかり襲うというヘンタイ猿が大暴れしたとか、

北海道ではヒグマが人家付近をうろついているとか、その様子がニュースで流れたり、しています。
さらには、いまさらニュースにもならないのでしょうが、カラスの被害は、

有効な対抗策もなく、ほとんど仕方ない状態になっています。

 

ま、ともかく、野生動物と人間が、なかなか仲良くできないで、
こちらが強いと、絶滅に向かわせますし、あちらが強いと、さまざま被害が生まれます。
要は、人間対野生動物の争いなんですね。
そもそも、大自然の法則では、何らかのバランスを図る機能が働き、
多少の増減はあっても、それなりに共存してきたはずなんです。
大事なのはバランスなんですね。
言い換えれば、アンバランスになると、一挙に不都合が生じてきます。
特に、人間にとっての不都合です。


そこで不都合を解消するために様々な方法がとられてきました。
その一つ、不都合な野生動物の駆除をするのに、天敵の野生動物を当てるという、
いわば、天敵作戦と言うのがあります。
ところがこれがなかなかうまくかない。

 

一つの例です。
奄美とか沖縄の島々では、毒蛇のハブが生活を脅かすことが多く、悩みの種でした。
彼らがどれほど悩んでいるかと言うと、北谷に住んでいた友人から聞いた話です。


住まいを新築する時は、周囲の藪を切り払うそうで、そこにいるかもしれないハブに対しては、
異常なくらいに警戒をするそうです。
たまたま、1辰阿蕕い瞭譴落ちていたとすると、瞬間的に飛びのいて、ハブかどうか確認をし、
そうでないと胸をなでおろす、とか言ってました。
サトウキビ畑の収穫などは、ともかく、ハブがいるかどうかを警戒しつつ作業をするとか。
私達が想像する以上に、彼らは悩まされてきたわけです。


そこで、マングースに目が付けられました。
マングースはインド原産で、コブラの天敵として知られています。
ジャコウネコ科の雑食獣で、主にネズミや鳥、昆虫などを食べるんですね。
1910年、インドから輸入された21匹のマングースが沖縄本島に持ち込まれます。
まだ、明治の頃は、ハブの毒を消す血清がなく、かまれると死亡につながるので、
ハブの被害は深刻な問題だったのです。
そこで東大の先生がマングースに注目、ハブと戦わせる実験を行いました。
マングースはハブにかまれても死ぬことはなく、最後はハブの頭に食いついて、見事にしとめたのです。
で、早速、ハブ退治として沖縄本島に導入されたわけです。
しかし、結果として、これは失敗に終わりました。
マングースは、確かにハブと対決したら勝てるのですが、
マングースにしてみれば、それは厄介な話で、何もよりによってそんな敵と戦うことはないわけです。
それよりも、ニワトリやアヒルを襲って食べたほうが、ずっと簡単でしかも成果は大きい。
で、結局ハブ退治には成果を出せず、今度はマングースの被害が広がってしまったわけです。


よくよく考えてみれば、ハブとマングースの、限定された場所での戦いだったわけですね。
正に、ボクシングのリングの上での戦いだったわけです。
マングースもこれは本気になって戦います。
たとえば、ボクサーがリング上で戦うことを、いつももそうして、

そのへんを歩いている人を殴るか、と言えばそんなことをしないでしょ。
マングースだってそうです。
いつもはいつもの過ごし方があるんですね。
ま、ともかく、今度は、マングース退治に躍起になっているわけです。


奄美大島でも、同じ経験をします。
奄美大島は、ある時期、10万匹以上のハブが生息し、人間や家畜が受ける被害は沖縄以上に深刻だったのです。
で、1979年、対策として30頭ほどのマングースが放たれました。
それから、自然繁殖を繰り返し、現在推定生息数1万頭と言われています。
特に、奄美王島特有の野生動物に深刻な被害が発生している、ということです。
地域の事情がありますが、それぞれに微妙なバランスで、動物相が形成されているのですが、
これが、ちょっとした力が加わると、バランスを崩し、繁殖する動物と、衰退する動物に分かれるのです。

北海道からしばしば、熊や鹿の被害が伝えられますが、
その大本は、日本オオカミが絶滅したことで、生態系のバランスが崩れた、と言われています。
このオオカミは、言うまでもなく、人間が滅ぼしたのです。
でも、考えようによっては、もしオオカミが現存していたら、それはそれで、人間が飼っている家畜が襲われたり、と、
それなりの被害はあったとは思いますが。

 

ま、そういう意味からも、実は、こう言う種別のせめぎ合い、たとえば動物同士、人間と動物という具合の
バランス化は、絶えず発生していることで、ある局面を私達は見ているのに過ぎないのです。
大自然の大きな法則と、生命の循環を法則を考えれば、

この地球上では、人間の一人勝ちなんですから、

多少のおこぼれを動物が得ても、仕方ないことではないか、と思います。


とは言え、農家にとってみれば、農作物の被害は直接収入に関わってくるので、どうにかしろ、と言うでしょうが、
少なくとも、現行の法律では、安易な駆除方法で対応できないのが現状です。

そこで、さまざまな方法が開発されている様ですが、
“スーパーモンスターウルフ”と言うのが登場しました。
まあ、一種のロボットなんですが、

先ずはその外見はオオカミで、その形相は牙を剥き出して、恐ろしい顔つきをしています。
センサーで、動物が近寄ってくると、吠えたり、大きな音を出したり、スピーカーが鳴ります。
これでイノシシなどはびっくりして逃げ出すそうですが、ちょっとした欠点がありました。
センサーの反対側の方向、つまりこのオオカミの背中側にはセンサーが効かないので、
スーパーモンスターウルフの背後では、結構堂々と畑の作物を食べているのだそうです。

まあ、改良すれば済むことなんですが。
野生動物も、なかなか一筋縄ではいかないと言うことですね。
当たり前ですが、彼らだって命がけなんですから。

| 水嶋かずあき | 環境 | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ノーベル平和賞

今日の新聞、ネットの一面に登場した話題が、ノーベル賞受賞。
本庶佑さんが、2018年のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
いやいや、日本人としては、大きな喜びですね。
ご存知でしょうが、オプジーボと言うガン治療に大きく貢献する薬剤の発見が、受賞の理由。
2014年に、このオプジーボを発見した際、
「発見はかなり偶然のこと。そもそも私はがん学者ではないし、がんの薬を探していたわけではない」
と、言ってるくらいなんですが、とは言えがん患者にしてみれば、
まあ、神様みたいにありがたい存在でしょ。
間違いなく、医学・科学が人間をすくった素晴らしい例の一つになると思います。

 

さて、毎年、この時期になるとノーベル賞の受賞者の名前が取りざたされ、
今年はだれが受賞するのか、に興味が集まりますが、
このノーベル賞と言うのは、
少なくとも、誰もが小学校で教わったことですよね。


先ず、アルフレッド・ノーベルと言う、スウェーデンの人が、
ダイナマイトを発明し、これによって得た巨大な富を基金にして、
世の中の役に立つ発明、研究した人に、ノーベル賞として、

さらなる研究を進めるための資金を提供する、というものです。


当時、そのことを教わった子供は(私も含め)、その元金は無くならないのか、と思いました。
先生の説明は、やたら大金なので、それを銀行などに預け、その利息で、やってゆけるので、
ある意味、永遠にこの賞は贈られる、と説明していました。

でもさらに疑問がありました。
じゃあ、その大金はどのように儲けたのか、という事です。
そもそもノーベル家は、アルフレッドの父が実業家で、ロシアで、爆薬工場を営んでいました。
クリミア戦争などで大儲けをしたようです。
アルフレッドは、この父の仕事を助け、爆薬製造の研究を進めます。
工場は、不運な出来事で、閉鎖しますが、
後に、スウェーデンに戻ったアルフレッドは、さらに研究を重ね、
珪藻土とニトログリセリンを混合させて、安定した爆薬を作り、これを世界各国で特許を取ります。
50か国、100に近い工場で生産され、世界中で採掘や土木工事に使われるようになったのです。
ま、このことがノーベル家の財政を盤石なものにし、一躍世界の富豪の仲間に入ります。

 

で、さらなる疑問ですが、なぜ、ノーベル賞を制定したのか、です。
だって、世界には、大金持ちが、わんさといますが、そんなことをした人はいないわけでしょ。
でも、彼は、なぜか自分の財産を使って、ノーベル賞のシステムを作ることを考えたわけです。
こんなことが、その動機の一つだったろう、と言われています。


1888年のことです。アルフレッドの兄リュドビックが、カンヌに行った時に死去します。
この時、新聞がそのことを報じますが、なぜか間違えて、ノーベルが死んだ、と報じたんですね。
で、その見出しに、「死の商人、死す」と大きく打たれ、本文には
アルフレッド・ノーベル博士、可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、
巨万の富を築いた人物が昨日、死亡した、と書かれたのです。
いくら勘違いとは言え、はなはだしい誤解です。
でも、これは、いわゆる世間はそう見ている、という事をノーベルは感じ取り、
死後の評価を気にするようになった、と言われています。


まあ、死の商人と言う評価を払しょくするためにも、有益な財産の使い方をしよう、という事でしょうね。

そして、1895年、持病の心臓病が悪化したこともあって、

ノーベル賞設立に関する記述のある遺言状を書くことになります。
彼の突然の死の床にも召使がいただけで、駆けつけた親類は間に合わなかったそうです。
華やかな人生でしたが、最後は一人で旅立つんですね。

 

さて、話は変わりますが、当初、ノーベル賞は現在ほどの分野ではありませんでした。
遺言で賞を授与するとされた分野のうち最初の3つは物理学、化学、医学または生理学でした。
後に4つ目として、理想的な方向性の文学とさしての文学賞、

さらに軍縮や平和推進に貢献した個人や団体に贈る平和賞などが追加されます。
で、この平和賞なんですが、しばしば受賞団体、または個人に対し、意義が唱えられますが、
これはかなり主観的な要素が強いので、やむを得ないですね。


で、1905年の平和賞は、女性で初めて受賞と言うベルタ・キンスキーでした。
彼女は「武器を捨てよ」などの著作者で、平和主義者で、その活動が評価されたようです。
このベルタは、かつて、ノーベルが結婚したいと思っていた女性で、
そのいきさつが面白いのです。
そもそものノーベルは、生涯独身だったのですが、別に、結婚を嫌っていたわけでもなく、
いわゆる縁遠いタイプにすぎなかったのです。
で、ある時、先ず女性秘書を雇い、そののちに、相手に対する思いが膨らんできたら、
結婚に進めて行く、という作戦をたてます。
このあたり、ただの不器用な男に過ぎませんね。
で、応募してきたのが、ベルタ・キンスキーという女性。
この募集広告は、5か国語で出したのですが、なんと彼女は、5か国語で応募してきたんだそうです。
相当な才女です。
で、秘書として働くのですが、しかしベルタには既に婚約者がおり、

やがて、秘書を辞め婚約者と結婚してしまいます。
ノーベルのもくろみは外れてしまいました。
この二人の関係はノーベルの一方的なものに終わってしまいましたが、
キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、
のちのノーベル平和賞創設の大きなきっかけになったと言われています。

 

まあ、それなりの下世話ないきさつが絡んでいるんですね。
とは言え、今の世の中の進歩発展、さらに平和の実現に寄与していることは言うまでもありません。

 

それにしても、利息で毎年これだけのことが賄えるという事は、

もともとはいくらの基金があったのだろうか、という事ですね。
運営だって費用が掛かるでしょ。
でも、ある人の意志で、世の中にこれだけの影響を与えられるんですから、
お金も、使い方では十分に生きるんですね。

 

さ、そこでです。
第二のノーベルは表れないのでしょうか。
IT系の産業で、しこたま儲けた人たちがいるじゃないですか。
あの財産はどうするんでしょうね。

 

| 水嶋かずあき | あれこれ | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
失せもの探し

以前、一度紹介しましたが、うちのかみさんのある能力についてです。
それは探し物の名人という事なんですね。

 

そのエピソード1。
我が叔父の水嶋英耀さんが、逝去された時のことです。
亡くなったと聞いて、バタバタと大門通りのお店に駆けつけました。
親戚のものも何人かやってきて、枕元で焼香をしたりしていました。
そんなさなか、叔父の長女と次女が、何やら納戸風の部屋に入ったり出たりして、
探し物をしているのです。
何を探しているのか、と聞くと、おじが、なんだかの褒章を受け、
その勲章と、顕彰の賞状を入れた額を探しているとのことなんです。
まあ、葬儀の時に、葬儀場の入り口に飾りたい、とのこと。
で、話によると、 昨日も二人で小一時間、
今日も今日で小一時間かけて探しているんだけど見つからない、と言うんです。
私は二人のいとこに、探すのはやめた方がいい、と言いました。
なぜなら、あなたたちの目では、見つけられない。
ものを探すときには、探す視点が必要で、知ってるとか知らないなんて関係ない。
じきにうちのかみさんが来るから、彼女に探してもらえば、すぐに見つかる、と。

いろいろと忙しいんだから、無駄な時間を使うな、と言ったんですね。

 

エピソード2。
その時に、うちのかみさんが、すごい探し物の名人である、と言う実例を話しました。
その一つです。

30数年前のことです。
父と母と私達の4人で、新潟の長岡の花火大会を見物に行きました。
花火を見た後は、長岡在住の知人の家に行き、泊めてもらうことになっていたのです。
父と母は一階の居間に、私達は二階の部屋にそれぞれ床を取ってもらて、横になっていました。
で、そろそろ眠りに付こうか、と言う時に、
その屋の主が、部屋に入ってきて、

何やら、箪笥の引き出しをバタバタさせながら探し物をしているんです。
かみさんは、体を起こし、何を探しているのか、と聞くと、
手で大きさを示しながら、このぐらいの大きさの鋏をここにしまってあるはずなんだけど、

見つからない、と言ったんですね。
かみさんは床から起き上がると、その箪笥の前に行き、ある引き出しを引くと、
手を入れ、その鋏を取り出したのです。
正に、秒的な時間、あっという間にです。
その家の主は、自分の家でもないのによく分かったね、と、さんざ感心していました。

 

エピソード3。
これは我が家でのこと。
母が、以前さる人に金を貸したことがあったのですが、
それを全額返してもらったんです。
金額は100万円を超えていたと思います。
で、大金なので、なくしてはいけない、と、あるところにしまいました。

これが前日のことです。
ところが、これが、昨日の今日なのに、何処へ入れたか忘れてしまったというんですね。
で、あちらの戸だな、こちらのひき出しと言うように、まさにバタバタしながら探していたのです。
そこへ外出から戻ったかみさんが、母の部屋に顔を出すと、
お金をどこにしまったか思い出せない、とぼやいたんです。
で、あ、そう、とばかり、押入れの引き戸を開けると、
きれいに積んである布団の何段目かのところに手を入れ、
正に一発でその現金の束を取り出したんです。
まさにこれも、数秒のこと。
母はびっくりして、どうして分かったのか、と聞きました。
かみさんは平然と、こう言うものって、どこに隠そうかと考えたら、
見つかりにくい所に隠そうとするもの。
だから見つかりにくそうなのは、ここではないか、

と見当を付け、そして身長からいって、このぐらいの高さの所だろう、と。

そしたら、その通りだったのです、と。

 

で、エピソード1に戻ります。
30分もすると、彼女がやってきました。
で、その探し物は、これくらいの大きさで、こんな感じの箱に入っているはず、と説明をし、
その納戸でかみさんは探し物をすることになりました。
いとこの二人は疑心暗鬼です。
だって、この家の事情をよく知っているし、
昨日今日と、二人係りで、部屋中引っくり返して、あれこれ探して見たのですから、
いきなり来て、見つけられるものか、と思っていたんですね。
この時はさすがに、秒単位ではありませんでしたが、
数分後、部屋から出てきて、これのことかしら、と差し出したのが、
その探し物の褒賞の額だったのです。

 

ま、ともかく、こんな経験を日常でもしてるので、
何か、失くしものをすると、かみさんに頼んで探してもらうんです。
ほぼ、見つけてくれます。
で、昨日、携帯が見つからなくなりました。
当然、思い当るところは全部チェックしましたが、見つからない。
ここはいよいよかみさんの出番と、頼んだんですね。
で、しばらくあちらこちらごそごそしていましたが、

見つからない、と、ギブアップ宣言。
これはもう、この家にはない、という事です。
探し物名人のご宣託です。

見放されたようなものです。


さて、どこでどのように失くしたのか、見当がつかない。
きっと今頃は電池切れで、こちらかの呼びかけには答えてくれそうもない。

正直、今回はもうあきらめてしまいました。


ちなみに、このブログを読んでいる方で、

私に電話をしようと思ってもつながりませんので、ご承知おきください。
申し訳ありません。

| 水嶋かずあき | あれこれ | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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